False Stage1-01
〝ルルーシュ・ランペルージに近寄るな〟この学校に来て初めて受けた同級生からの忠告がそれだった。
帝立コルチェスター学院。そこは世界の三分の一を支配する大国ブリタニアの帝都に位置する格式高い名門校である。貴族の子供達をはじめ、時には皇族すら在籍するという正に名門中の名門だった。
「はぁ」
澄んだ青空は雲一つ無い。清々しい程の快晴。この時期にしては少し強い日差しが降り注ぐ中、芝生の上で小さく溜息を洩らしたのはまだこの学園に転入してきたばかりであった留学生の少年だった。クルリとした癖のある髪に健康的な肌の色、瞳の色は翡翠を思わせるような濃い緑色をしている。
広い敷地内には立派な煉瓦造りの校舎や悠々とした緑が存在しており、それらは目を瞠る程優美に整えられていた。
そんな場所で彼は芝生の上に直接座り込み、真新しいノートのページを捲っていた。
少年の名は枢木スザク。このブリタニアから遠く離れている日本という極東の島国からスザクは八年前この国へ留学生として送り出された。
それだけだったならば差ほど程問題はない。ただの留学生として学院で過ごすことも出来たのだろう。しかし実際のところスザクには様々な苦労が付きまとっていることは否定出来ない。
「今日の授業も何とかなったのかなぁ?」
庭の木陰へと座ったまま、ノートの中身をじっと見詰める。この学院に通うような格式高い家の生まれの身ならばきっとこのように地面に直接腰掛けるようなことは厭うのだろう。しかしスザクはそのことをさほど気にしてはいなかった。
パラリと音を立ててノートを開けば、そこにはアラビア数字と記号や符号が羅列されている。それは決して無意味な程に不規則なものではなく、ある物事を順序だてて導く立派な数式であった――但しイコールの右側に記された解が正しいものならば、という前提がつくだろうが。
「数学って難しい……」
ぽつりとそう洩らした言葉は誰に向けたものでもなく、誰からの返答も期待していない言葉だった。
スザクはパラパラとノートのページを捲る。そうしていけばすぐに薄く引かれた罫線だけの白紙へと変化していった。それはスザクがまだこの学院に来て間もない、ということを示している。
スザクがこの学院に転入してきてから今日で丁度ひと月が経つ。木陰から零れた麗らかな陽射しがスザクの頬を撫でる。暖かくスザクを照らすその光は盛夏と呼ぶにはまだ少し早い時期のものだった。
スザクがこの学院に転入してきたのは丁度ひと月前の四月七日。この学院では九月が一年の始まりとされる為、今は丁度学年末に差し掛かる頃である。そしてそのあと夏の長期休暇を挟んで新学年へと進級することとなる。スザクは現在高校二年生であり、新学期が始まれば今度は高校三年生――この学院では中高一貫した教育なので六年生ということになる。
とにかく今は皆が夏休みに向かってそわそわしている季節で、そんな時に転入してきたスザクを不審に思うのは当然のことだった。
しかし何故こんな半端な時期に転入することになったのか。その答えは明白である。スザクがこの妙なタイミングで住む場所を地方都市から帝都へと移動したからという至極単純な理由からだ。とはいっても何故スザクがこの時期に引っ越しを余儀なくされたのか、それを説明するのには少々手間が掛かるのは事実だろう。
スザクの故郷日本とブリタニアとは長い間親しくもなければ険悪でもない――互いに不干渉を貫いていた。それはただ単に干渉し合うことにメリットが見出だせなかっただけに過ぎないからであり、干渉することによりどちらかの国にメリットが生ずるのならば、いつでもその均衡が崩れる可能性は存在していた。そして日本国のトップである何人かが危惧していたように数年前、その関係は崩れ去った。
それは日本で希少価値の高いレアメタル――サクラダイトと呼ばれる資源が見付かったことに起因する。
サクラダイトは現在世界で最も希少価値が高いレアメタルとされ、僅かな量であっても息を呑むような高額で取引が行われてきた。ところが日本を除く世界中に埋蔵されている全てのサクラダイトを足した量と同等程度のサクラダイトが日本に埋蔵している、と当時の日本政府による調査で判明した。そうしてつまりは世界中のサクラダイトの約半分が日本で産出されることになったのだ。
それを、ブリタニアをはじめとする大国が見逃す筈はない。ブリタニアは日本を侵略する為に準備を進めていた。
現ブリタニア皇帝であるシャルル・ジ・ブリタニアはエリア政策という植民地政策を推し進め、多くの土地をブリタニアの色に塗り変えてきた。だからすぐに小さな島国に過ぎない日本などそれまでと同様に新しいエリアとなるのだろうと思われていた。
しかし結果として日本はブリタニアの植民地にはならなかった。それは日本軍が思わぬ抵抗を見せたからであるということは一般に余り知られていない。後に厳島の奇跡と呼ばれる藤堂中佐率いる日本軍の大躍進により、ブリタニアは日本に勝ちはしたものの、大きく戦力を削らざるを得なかったのだ。
サクラダイトの年間産出量の約三分の一をブリタニアに譲渡すること、日本国首相の嫡男をブリタニアに留学させる、ということで最終的な決着が着いた。日本はサクラダイトを全て失うこともなく、領土を異国人に侵略されることもなく、ギリギリのところでその取引に同意した。
そしてその日本国首相の嫡男こそがこの枢木スザクである。スザクは八年前ブリタニアにやって来た。それは留学と表向きには謂われていたが、実際のところはブリタニアに対する日本からの人質だった。
「何で……ここのXがこんな値に? 意味が解らないよ……。僕、本当に卒業出来るのかなぁ?」
もう一度スザクは深く溜息を吐き出した。数学は苦手な教科の一つだ。数字と記号は見るだけで目が回ってくる。ブリタニアに来てからというもののまともに学校に通ったことすらなかったのだから、数字に拒絶反応が出ても仕方が無いと思う。
「セシルさんにまた教えてもらわなきゃなぁ……」
スザクは十四歳でブリタニア軍に入隊した。日本から特別に送られた留学生だといっても所詮は人質。特別優遇される筈もない。スザクの入軍は生きる為の手段だった。
生活費が支給される訳でもない、住むところを提供される訳でもない。スザクが生きる為には最低限の生活水準を確保しなければならなかった。
ブリタニアに来て始めの二、三年は日本から派遣された特使によって保護されていたものの、彼らはスザクがある程度の年齢に達した時点で引き上げていってしまった。
そしていよいよ自らの力で生活しなければならなくなった時、スザクはブリタニア軍への入隊を決意した。
軍には寮がある。支給される服がある。美味しいとはいえなくとも温かい食事がある。
スザクの軍人としての階級は一等兵という最も下位のものからはじまった。祖国に見棄てられたスザクは必死に毎日を生き抜いた。
元より体力や運動神経に自信はあった。少なくとも最前線に出され続けた一年間を大きな怪我も無く、乗り越えられる程には。
そうして数年間の過酷な生活の中、一年前に受けたのがブリタニアに於ける最新兵器――〝ナイトメアフレーム〟の適性テストだった。
結果は研究者も驚く数値。自在に操作することが出来るというのが千人に一人と言われている最新鋭の第七世代にも耐えられる適性値を叩き出した。そうしてスザクは一等兵から何と第七世代KMF〝ランスロット〟のパイロットとして引き抜かれた。
現在の地位は准尉。ブリタニア人ではない者としては異例な出世だった。
スザクの扱いは名誉ブリタニア人とほぼ同等だった。日本は未だに植民エリアとならずに同盟国として扱われていた。しかし事実上日本はブリタニアの支配下にあるのも同然で、同盟という対等な関係である訳がなかった。
そしてひと月前状況が変化した。日本とブリタニアの関係が再び緊迫した状態に陥ったのだ。――スザクがブリタニアに居るにも関わらず……。
今まで居たブリタニア軍の駐屯地を引き上げ、帝都ペンドラゴンへやって来てから一ヶ月余り。職業軍人であったスザクが急に学生を兼業することになったのはスザクという存在の重要性が改めて見直されたからなのだ、と頭が良いがどこかネジの抜けた上官は面白そうに話していた。
日本にとって首相の息子は大した存在価値などないと日本人達は考えている。それは日本の首相がブリタニアに於ける皇帝のように世襲制ではないというところが大きい。日本の首相は選挙によって選ばれるのだからそれは当然である。スザクが何れ首相になるか、と問われればそれは現時点では答えようのない質問である。
しかしながら彼らは知らない。スザクがブリタニアで軍人として生活し、KMFの才に長けていたということを。
スザクを名誉ブリタニア人とすることによって、スザクはブリタニアを護る為に戦う騎士となる。それをブリタニアはスザクに対して望んでいるというのだ。そしてついにスザクは一ヶ月前、名誉ブリタニア人となった。
「でねぇ、シュナイゼル殿下が今度ランスロットの実験を見学したいっておっしゃってね、是非ともそこで成果を出して欲しいっていう訳。そうすれば開発費も研究費も山ほど貰える筈ですからねぇ」
スザクが自分の所属する特別派遣嚮導技術部に戻ると上官であり研究者でもあるロイド・アスプルンドはそうにやりと笑みを浮かべながらスザクの肩をパタリと叩いた。
「ということでよろしくね。スザクくん。……勿論失敗は許されないよ」
へらへらとした口調だが、その瞳は据わっている。本気だ、本気だった。スザクが失敗すればきっとその先に待っているのは……。
「セシルくんがねぇ、新作の料理を開発したとか、していないとか」
スザクは自分の顔から血が引いていくのを感じていた。そもそも料理を開発というのは何だか変な気がする。だが、彼女の料理に関してだけはその表現方法も納得出来てしまうのだから不思議なものだ。
「あら、ロイドさんはご存知でしたっけ? 私が新しいメニューに挑戦していること」
ロイドの部下であり、スザクの上司であるセシル・クルーミーは目をパチパチと瞬いて驚いてみせる。ロイドの話がセシル本人によって肯定されたことにより、失敗は確実に許されないとスザクは自らの頭に刻み込む。セシルの料理の破壊力はランスロットをも遥かに凌ぐとスザクは半ば確信していた。
「完成したら是非試食してね、スザクくん」
そんな風に優しく言われても素直に頷けないのは不可抗力だ。
「は……はぁ」
困ったようにそうどちらとも取れないような声を発すると、助けを求めるようにロイドへと顔を向ける。
「ま、とにかくいつも通りにやってくれれば心配は要らないよぉ! このところの適合率は目を瞠る数値だしね!」
にんまりと微笑まれスザクは気を取り直して大きく頷く。
「はい、頑張ります!」
帝都ペンドラゴンに来て一ヶ月。そこそこ順調である。
実験を終え、学院へと戻ろうと歩いていく。今日からスザクは学院の寄宿寮へと入寮する。すぐに寮に入ることが出来なかったのはスザクの存在自体が異例なものであり、手続きに時間が掛かった所為なのだという。
「君が最近転入してきたっていうクルルギくんですね?」
突然前から掛かったその声にふと、足を止め、足元へと向けていた視線を上げれば、目の前には三人の少年がスザクを待つようにして立ちはだかっていた。
横一列にスザクを待ち受ける少年達のなかで中央に立つ少年は、丁寧な言葉遣いでそう尋ねる。その物腰といい、話し方といい、貴族であると考えるまでもなく悟った。
「ええ、はい。あなたは?」
素直に自分が枢木スザクであるということを認めれば、スザクに問い掛けたグループのリーダーと思わしき少年の右隣りに佇む背の低い少年が眉を顰めた。確か同じクラスで見たことのある少年達だったが、如何せんスザクは周りと殆ど関わりを持たなかった為にまともに自己紹介すらしたことが無かった。
「お前は知らないのか? シャントルイユ伯爵家の嫡男であるヴァレリー次期伯爵を」
伯爵といえばかなり良い家柄の生まれなのだろう。それを知らないということはこの学院に於いては無礼にあたる。しかしまだ転入してきたばかりなのだ。解らないことがあっても仕方のないことだと思う。
スザクが申し訳なさそうに眉を下げると、高慢な態度でもう一人の少年は口を開いた。
「全くこれだからイレヴンが」
イレヴン――現在緊張状態にある日本がブリタニアに下った場合に宛がわれるナンバー。しかし、まだ日本はブリタニアし侵略されてはおらず、イレヴンという呼称は存在しない。それでもこの貴族の少年は日本がブリタニアに下ることを確信しているようだった。
「君たちは黙っていなさい」
そう横に居た小柄な少年を牽制すると、薄く笑みを浮かべた彼は右手を差し出した。
「僕はヴァレリー・シャントルイユ。君の入寮する光の寮(ルミエール)の監督生です。以後お見知りおきを、クルルギ・スザク騎士侯」
KMFを与えられた軍人は騎士侯として一代限りの爵位を与えられる。伯爵の嫡子であるという監督生の少年はその爵位を強調するようにそう告げた。
「枢木スザクです、よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げれば、彼は口端をわずかに持ち上げた。
「僕は理事長から君を寮へと案内するように頼まれてね。何せ君が入るのは僕たち選ばれし者たちの住まうルミエール寮なのだから」
「イレヴンだってのに俺たちの寮だなんてな」
監督生の説明に横からボソりと付け加えられる言葉。一般のブリタニア人ですら入寮出来ないルミエール寮に名誉ブリタニア人であるスザクが入るというのだからそういう反応を返されても仕方のないことだと思う。この国は階級社会であり、そうやって身分や人種で差別することが広く浸透しているのだから。
「理事長の決定なのだから従いなさい」
とにかくつまりスザクは彼らの暮らす寮に入寮することになっているらしい。
監督生は不服そうな態度を顕わにする少年達を宥めるともう一度スザクの方へと向き直った。
「ついでに学生寮区画の説明も、とね」
この学院は校舎と少々離れた場所に寄宿舎となる学生寮の敷地が存在している。その辺りには寄宿寮だけではなく、ゆったりと時間を過ごせる広場のようなスペースや薔薇園、別棟の図書館などが併設されているのだという。スザクは今までひと月もの間、軍の仮宿舎から通っていたから殆どそちらへ近付くことも無かった。しかし、スザクも今日から寮の一員となるのだからその辺りのことを知っておくべきなのだろう。
監督生に案内されるままにスザクは彼の後ろへと付いていく。
一直線に伸びる道を真っ直ぐに歩めば左右に寮の建物がそれぞれ見える。右手は煉瓦と硝子で作られた光の寮。左手が木造の建物で陰の寮。それぞれの寮へと続く道には植え込みが均等に植わっており小さな花を咲かせている。近寄ればふわりと甘い香りが漂った。
優雅に華麗。そんな雰囲気の施設であるが、そこに暮らす学生たちの中には陰険な陰謀が渦巻いていた、爵位があるか、無いか、たったそれだけのことなのに住む場所でさえ区別される。
爵位を持たない家の者は持つ者に対してどう取り入るかを考え、持つ者はどのくらい周囲の者を従えるかで競い合う。時には対立し、時には協力し合い、そうして将来へ向けた準備を整える。学院を卒業した彼らに待ち受けるのは更なる駆け引きの渦巻く社交界なのだから。
「此処が爵位を持たない庶民の暮らす陰寮(オンブレ)です。名誉ブリタニア人とはいえ、貴方は騎士侯ですからね。こちらには属しません」
ランスロットのデヴァイサーとなった時、スザクの身分は騎士侯となった。それはスザクをこの国に縛り付けるための要だった。〝名誉〟だけではスザクが納得しないだろうとブリタニアが勝手に爵位を与えたのだ。スザクはそんなものを望んでいた訳ではないのに。
ともかく、ブリタニアはスザクの意見になど耳を傾けることはない。利用するだけ利用され、そしていつかは棄てられる。それでもスザクは他の力を持たない名誉ブリタニア人や日本人達よりは権利を与えられている。それならばそれを利用してやろうとも思う。
日本とブリタニアの関係が悪化の一途を辿っているということは周知の事実だったが、しかしどう見積もっても日本がブリタニアに勝てるとは思えなかった。それならば今、ブリタニアの側にいる自分がいつか日本とブリタニアとの架け橋となれればそれで良いと思っているそうでなければ日本を、父を、恨んでしまいそうだった。
(それで良いんだ……)
「由緒正しいこの学院ですが、貴族だけでは人数が限られますからね。門戸は狭くともこうして一般にも開放している訳です」
上に立つものは貴族。従う者は庶民。たったそれだけ規範。この学院という狭い世界もブリタニアという広い世界も大差ない。
オンブレ寮は木造で十九世紀頃に良く建てられたアールヌーボー的外観の建造物だった。当時開国したばかりだった日本から渡った浮世絵などの平面的描画方法が西洋の遠近法とは全く異なり新鮮な印象を与え、西洋で大いに持て囃された。そこから派生したデザイン様式である。
植物文様を描くような優美な曲線。それらが組み合わさりノスタルジックな印象を想起させる。つまり、監督生達が言うような見窄らしい建物だとは思えない。とはいえ反対側に建てられたルミエールの寮に比べれば地味な色合いであると言われても仕方のないことなのだろう。
「普段ルミエールに住まう者がこちらのオンブレへと近付くことはまず無いでしょう」
ルミエールに住む者がオンブレに住む者を訪ねることは無い。陰の者に用があるのならばこちらから呼び出すのが一般的であるのだという。だからルミエールに住む者がオンブレに近付く必要など無いし、近付く理由もない。
「それよりもさっさとルミエール寮を案内して終わりにさせてしまおうぜ!」
「ええ、そうですね」
監督生は頷くと、反対側の道へと向かって足を進めていく。しかし、スザクはそこでふと気が付いてしまった。もう一つ真っ直ぐに伸びる道があるということに。
「あの、あっちの建物は一体……?」
純白に聳える白亜の城。そう表現するのは果たして的確だろうか。しかし他の寮とは違い城、と表現する方がしっくりくるようなそんな佇まいだった。
「……あれは、」
瞬間、言葉を詰まらせる少年。背をビクリと震わせた少年。そして監督生は表情を僅かに硬くした。
「〝夜空(ウラノス)の離宮〟」
ウラノス――ギリシア語で天を表し、全世界を最初に統べた神々の王、とされている名前でもある。
監督生の隣に立つ背の高い少年が告げた。その言葉に監督生は頷き、補足する。
「あの場所はこの学院に通う皇族の為に用意された私邸です。基本的にこの学院は全寮制の寄宿学校ですから皇族であっても敷地内で生活するのです。ですが、皇族の方々が僕たちと一緒の寮で生活する訳にもいかないでしょう?」
つまりはこの学院を仕切る者である皇族をウラノスと見立てて、その名前が付けられたということなのだろう。しかし、神話によればその神は息子であるクロノスによって、その力を喪ったとされていた筈だ。
「……とはいっても現在あの場所には誰も住んでいませんが」
監督生が云うには数年前に皇女の一人がこの学院を去って以来皇族は在籍していないのだという。
「しかし、皇族がいないからこそ……」
「俺たちが学院を支配出来るという訳だな」
監督生の脇に立つ二人がそれぞれそう零す。
最もこの国で高位である皇族が居なければその次に力の有るものが学院を支配する。実に単純明快な構図である。
「まぁあの離宮で一番重要なのは用も無いのにあの辺りへ近寄るな、ってことだけどな」
「皇族が住まなくてもあの場所は学院に管理されており、不法侵入は懲罰ものだとか」
それらの言葉にスザクは目を見開く。中に入っただけで退学処分になり得るような場所がこの学院の敷地内にあるということだけでそもそも驚きだ。
きっと厳重に警備がなされているのだろう。近付かない方が賢明なことはスザクにも良く理解が出来た。
「ま、オンブレの寮に住むような育ちの悪い奴らは度胸試しだかなんだか知らないが、あの場所への侵入を試みているらしいがな」
「それで退校処分になったらどうすることやら」
はは、と笑みを零しながら一人がそう洩らした。
「ああ、ついでに一つ忠告しておきましょう。……僕たちのクラスに在籍しているルルーシュ・ランペルージには近付かない方が良い」
ルルーシュ・ランペルージ。スザクがこの学院へ転入してからそんな名前のクラスメイトと会話した記憶はない。まだ名前を覚えきれていなかった人だろうか。
「ルルーシュ・ランペルージ?」
「詳しいことは話せませんが……とにかくそれだけはこの寮の監督生として確かに忠告しておきます。僕の寮生が厄介ごとに巻き込まれては後々面倒ですからね。さぁ、早くこんなところは離れてルミエールへ向かいましょう」
ルルーシュ・ランペルージに近寄るな。その言葉の意図が解らない。その人物が一体何者なのか。何故そんな風に謂われているのか。
首を傾げながらもスザクはルミエールへと到着し、簡単な説明を受けると、彼らは自分たちの部屋へとそれぞれ去っていった。そしてスザクも自分に宛てられた部屋へと入る。
ルミエールの寮は煉瓦造りで、中央のホールには大きな天窓に色とりどりのステンドグラスがはまっていた。
一人につき一部屋が与えられるのは通常の全寮制学校では珍しいことだろう。スザクが今まで身を置いていた軍の寮でさえ数人に対して一部屋というのが通常だった。
「何か……凄いところに来ちゃったのかな……?」
突然自分の置かれる境遇が変わったのはブリタニアに於けるスザクの重要さが格段に向上したからであり、スザクは今までブリタニアにこんな待遇を受けたのは初めてだった。
確かにもう日本に戻ることは半ば諦めて軍人となったが、もしナイト・オブ・ワンになるという遠い願いが叶うのならば、ナイト・オブ・ワンの特権を使って日本を解放させたいと思う。とはいえそれは日本が既にブリタニアのエリアの一つになってしまっていることが前提だが。
「こんなに広い部屋……どうしようかな」
荷物など小さな旅行鞄一つで間に合ってしまう量だった。それなのに広々とした部屋が一つと寝室、バス、トイレなどの設備もしっかりと完備されている。
「お風呂でも入ろう……」
スザクはそう独り呟くと、バスルームへと向かっていった。