False Stage1-03
「何か気になることでもあるんですかぁ? 枢木スザク准尉」
ロイドに顔を覗き込まれ、スザクは目を見開いた。そうすれば今度はセシルが心配そうな表情でスザクへと視線を向ける。
「何か心配事があるなら話して頂戴、悩み事を独りで抱えるのは良くないし、いつでも相談に乗るわ」
「……有り難うございます」
はぁ、と息を吐き出しながらそう感謝の意を述べればロイドが眉を顰めて、目を細めてみせた。
「はぁ~これは重症ですねぇ。今日はこれからシュナイゼル殿下が来るんだよ? 大丈夫かなぁ?」
彼が心配しているのはスザクの調子が良くなく、実験に失敗し、期待していた予算が得られない、または減らされてしまうことだろう。スザクのことなど本当はこれっぽっちも心配していない。しかしスザクはそれで良いと思っている。寧ろとても心配そうな表情を浮かべているセシルの方がどちらかといえば厄介である。
「テスト中元気が出るようにおにぎりでも作ってきましょうか?」
「えっ…………」
セシルの思わぬ提案にスザクもロイドも一瞬息を詰まらせた。それから慌てるようにぶんぶんと顔を左右に振って否定する。
「駄目ぇッ! セシル君、それだけは止めてぇ~!」
「…………どうしてですか?」
きょとんと聞き返され、ロイドは何とかして理由を紡ごうと口を開く。
「ほ、ほら……食べ過ぎたら眠くなったりとか……しちゃうし?」
尤もらしいような理由にセシルは納得したのか素直に頷いた。
「それもそうですね。じゃあ実験が終わったらたくさん作るから幾らでも食べて頂戴ね、スザクくん」
ニコリ。その笑みがとても恐ろしいものに見えたのはきっとスザクだけではないだろう。精一杯の恨みを込めてロイドへと視線を送る。あは、と笑みを浮かべたロイドにセシルはとどめの一言を告げた。
「もちろんロイドさんも召し上がってくださいね!」
特派の一同が凍り付いたのは果たして今の言葉が原因だったのだろうか。それともその瞬間に彼がこの場所に姿を現したことが原因だったのだろうか。
「やあ、ロイド」
「シュ、シュナイゼル殿下!」
パッと敬礼したのは声を掛けられたロイドではなくその隣にいたセシルの方だった。そしてスザクもセシルに倣って頭を下げた。
何でもない、といった風に平然と入って来た第二皇子であり宰相である人物は最低限の護衛官と共に特派の研究室へと入ってきた。予定よりも二十分早い。
「会議が繰り上がって終わってね、少し早いけれど見学に来てしまったよ」
それくらい何でもないだろう? と言いたげだったが、来られるこちらにとっては何でもないことはない。寧ろ焦る、それもかなりの勢いで。
「あ、あ、ああああの、殿下。まだ準備が整っていないので至急準備致しますが、少しお時間を頂いてしまうことになるかと……」
セシルはあたふたしながらも、申し訳なさそうに頭を下げる。そうすればシュナイゼルはやや目を細めて微笑を浮かべた。
「いえ、私が早くに来てしまったのだから気にしないでください、ええと、貴女のお名前は……」
「セ、セシル・クルーミーであります!」
慌てた様子で背筋をピンと伸ばして答えるセシルにスザクもロイドも目を剥いた。
「そんなに畏まらないで下さい、セシルさん」
「は、はいっ!」
俗に言うロイヤルスマイルでセシルは尚いっそのこと恐縮している気もするが、少々うわずった声で返事をした。
「それで、君が……枢木スザクくんかな?」
今度はセシルからスザクへと視線を向けられる。淡い紫色は人の信頼を集める効果でもあるのだろうか。そんな錯覚さえ抱かされるくらいに彼の言葉に嘘は無いように思えてしまう。
「はい、お初にお目に掛かります。シュナイゼル殿下、枢木スザクです」
シュナイゼルの前まで歩み、跪く。そうして見上げれば背の高い彼は僅かに屈んでそっと口を開いた。
「話はロイドから良く聞いているよ。優秀なパイロットだそうだね」
穏やかに、告げられた言葉はスザクを誉めるもので、そこには敵国の首相の息子に対する嫌悪というものが全く見えないでいた。
「そんな、僕は」
「謙遜は必要ないよ。実戦にもっと参加させてあげたいからね。是非ともテストで成果を見せてほしい」
皇族、しかも第二皇子である彼は全ての動作が優雅であり、一つ一つの仕草に最上級の環境で育ったという品の良さがあった。そのくせ貴族達のようにギラギラとした出世欲や人を出し抜こうとする狡賢さを全く感じさせない。清廉潔白という言葉が良く似合っていた。それなのにも関わらず、どこか底が見えないような……そんな奇妙な感覚を抱かせる。
「殿下ぁ、では見てくださいますか? 僕のランスロット!」
ロイドは奥へ続く格納庫へと腕を差し向ける。そこにはランスロットの白と金色に彩られたボディの一部が垣間見える。
「勿論、今日はその為に来たのだからね。期待しているよ」
「予算の倍増、忘れないでくださいねぇ!」
気の抜けた声でそう付け足すロイドにシュナイゼルは苦笑を零す。
「ああ、解ったよ。国費から、とはいかないけれどね。私の個人的な資産でどうにかさせよう。君とは寄宿学校の時からの仲だ。君の頭脳が天才的であるということは良く知っているからね」
「なーにをおっしゃるんですかぁ。首席だったのは貴方の方だったではありませんかぁ?」
「そうだったかな」
惚けるシュナイゼルにロイドは不機嫌そうな表情を装ってみせる。もちろんそれには冗談の意味合いも含まれているが。
「……科学と物理で僕が負けるなんてちょっと悔しかったんですよ? これでも」
そう言いつつもそんなに悔しそうには見えなかった。
「ロイドにそんな人並みな感情があったなんてね」
「……関心するところを間違えておりますわ、殿下」
そこに口を挟んだのは後から入ってきたシュナイゼルの秘書官のようだった。しかし、話し方がどうも気になる。
「そうかいカノン?」
「ええ、ロイドも一応は人間ですから」
女性の文官の格好をした青年にスザクは思わず二人のことを交互に見比べてしまう。
「一応って何ですか? って誰かと思えば久しぶりですねぇ。マルディーニ伯」
「ええ、お久しぶりね、ロイド。この前のボードレールの夜会以来じゃない? あなたなかなかそういうのに参加しないでしょう?」
「ああいったところは好きじゃないんですよ、あの時は必要に迫られて、ですねぇ」
どうやらこの三人は旧知の仲のようでスザクとセシルは少し離れて彼らのやりとりを見守っていた。ロイドが何か失礼な発言をしたら止めた方が良いのだろうか。しかしもう十分失礼を尽くした気もするが。
「さぁ、そろそろ旧友を懐かしむのは止めて設備を見せてもらおうかな。枢木くんはその間に準備をしてくれれば構わないよ」
穏やかに微笑む皇子の姿にスザクは大きく返事をした。
「イエス、ユア・ハイネス!」
ランスロット内のモニターを通じ、外の様子とチラと観察する。シュナイゼル第二皇子は興味深げにロイドの前へと設置されたモニターを覗いている。ランスロットの機動状況がリアルタイムで表示されるそれは適合値がかなりの高値を示しているということを表しているようで、横に並ぶ円グラフは出力状況を表示しているのだと前にセシルに習ったことを思い出した。
「枢木くん、このロイドが君を重宝するのも頷けたよ。素晴らしい才能だね」
皇子から直接賛辞を贈られ、スザク自身も驚いた。名誉ブリタニア人であっても気にする様子を見せない彼はそうしてスザクを差別することも無かった。そしてそれどころかスザクの持つ才能に感心しているようだった。自分は世界にも通用する力を持っているのだろうか。これならばもしかすると本当にナイト・オブ・ワンを目指せるかもしれない。そんな風に考えてしまう程に彼は人のやる気というものの引き出し方を知っているようだった。
「身に余るお言葉、光栄です」
「もっと自分に自信を持って良いと思うよ。確かにブリタニアとニッポンの関係はかなり切迫しているけれど、我々ブリタニアは君のことを大切な賓客だと思っているからね」
淡紫の瞳を細めてシュナイゼルはスザクの騎乗するランスロットを見上げた。白色ベースに金色の飾り付けは豪奢でまさに主君を護る騎士といった姿をしている。しかし付けられた名前は〝裏切りの騎士〟なのだから何だかこの名前を命名したというロイドに自分の考えを見透かされているような気持ちになる。普段はああしてへらへらとしているが、いざという時には鋭い面持ちに変化するということをスザクは知っていた。
「君たち特派にはとても期待しているんだ。ロイド、君の研究はKMFの今後を大きく変化させるだろう」
「勿論ですよ、殿下。ボクの創り出す第七世代はこれから先のKMF開発の基盤になる筈ですから!」
これからのKMF開発を変える、とまで言い切るロイドはこの第七世代ナイトメアフレームに相当の自信を持っているようだった。そして実際その通りの実力が彼にはあるのだろう。
第六世代までとは違う。第七世代からは本格的に操作する人の意思を受け、自由自在に動く手脚となる。そうして人々の身体をも超えた機能の拡張により、その力を増幅させる。それがKMF開発者の目指すところだ。自らの身体を動かすよりもより簡単に、そしてより高度な動きを追求する必要がある。
「頼もしい限りだね」
シュナイゼルはそう微笑むと、スザクへともう一度目線を向けた。
「君にも期待しているよ、枢木准尉」
シュナイゼル皇子の特派訪問。それはあっという間の嵐のような出来事だった。それでもこれはスザクにとって大きな前進となるのだろう。今まで皇族と謁見することすら叶わなかったのだから。
シュナイゼル・エル・ブリタニアが特派を訪れてから一週間が経つ。そしてルルーシュ・ランペルージ、そう名乗った彼と邂逅したあの夜から一ヶ月と八日経過したことになる。以来一度も見掛けていない。美しく整った美貌は同じ男であるとは思えない程に浮世離れしており、纏う雰囲気も何と表現すれば良いだろう、どこか神聖なもののように感じられた。彼は確かに自分と同じクラスだった筈なのに教室ですら顔を合わせることは無かった――つまり彼は学校を欠席しているということなのだろう。
(休学中とか……?)
スザクは自室のベッドの上へ腰掛けるとはて、と考える。確かに病気や怪我による休学は珍しい訳でもないのだろう。しかし、彼が病気や怪我に見舞われているのならばそもそも彼はこの学院の敷地内ではなく病院に居るはずだ。
では何故、彼は学校へ顔を出さないのだろうか。そう考えた時、スザクは監督生が以前スザクに言った言葉を思い出した。
〝ルルーシュ・ランペルージに近寄らない方が良い 〟
そしてルルーシュ自身もそれを認めていた――ルルーシュは同級生に酷いイジメを受けている? それならばルルーシュが来ないことも監督生の言葉も納得出来る。しかしそれではあんまりではないか。あの監督生がそこまで言う程のことを彼はされている?
(僕が気にするべきことじゃないっていうのは解っているけど……)
それでも何故かあのクラスメイトであるはずの彼のことが気になって仕方がない。どうしてだろう、もっと話をしてみたいと思うのだ。それは自分も彼もこの学院に於いて異質な存在という意味では似たような者同士だからなのだろうか。
明日の放課後にでも少し探りを入れてみるか。そう思い、顔を上げる。そして壁に掛けられた時計へと視線を移した。
「あ、やばっ!」
彼のことに気を取られ過ぎて既に午後七時半を回ってしまっていることに気が付く。今日はブリタニア史の課題でレポートを書かなければならなかったのに。図書館は午後八時まで。急いで資料を借りてきて、部屋で書くとしても三十分で資料を調べることが可能だろうか。
(とにかく急がないと!)
図書館利用証の入っている財布を掴み、スザクは勢い良く図書館棟を目指す。使えそうな資料を片っ端から借りてしまえばきっとなんとかなるだろう。甘い展望なのは分かっているが、きっと教師達もスザクの多忙さは知っている筈。少しは考慮して貰えると良いのだが。
もう暗くなってしまっている学院の敷地内は均等感覚に並ぶ外灯によってぼんやりと照らされていた。淡く温かい色が薄らと辺りを映し出す。
少し歩けば以前監督生が案内してくれた図書館の建物へとたどり着く。コンクリートと金属が組み合わさり現代的な見た目をしているが、中へ一歩入ると古めかしいながらも整った奇妙な空間が広がっていた。
図書館は学生だけで使うのが勿体ないくらいに大きく、ぱっと見ただけでも蔵書も星の数ほどの量だった。吹き抜けの天井まで届いてしまう程に高い書棚にはぎっしりと本が詰め込まれており、資料を傷めないような配慮なのか淡い間接照明がぼんやりと館内を照らしている。
「凄いな…………」
思わず声が洩れてしまう。それくらい荘厳な雰囲気のある図書館だった。まるで空想小説の中に出てくるような。
しかし、こうしてはいられない。急いで該当分野の本を何冊か借りてしまわなければ。そんな風に思いながらスザクはきょろきょろと辺りの本棚を見回す。
「えっと……どこから探せば……」
困った。これだけ広いとどのあたりに目当ての本があるのか検討を付けるだけでも時間が掛かってしまう。司書はいないかと辺りを見渡すが、見当たらない。貸出は機械を通して行われるようで本を借りるだけならば支障はなさそうだが、本を探すとなると別問題である。
蔵書検索用のパソコンを見付けたが、ある程度の検討を付けていないと検索することさえ困難だ。
フラフラとしながら本棚を見回って行く。
(これじゃあ最初から留年の危機だよ……)
ただでさえ軍務によって早退しがちなのだ。これで課題の提出が遅れれば本気で〝留年〟の二文字が見えてくる。出来ればそれは避けたいことだ。只でさえブリタニア国内でのスザクの立場は不安定なものであるのに折角宛がわれた居場所を自分のミスで無くしてしまえばこの先どうなるか検討が付かない。
まるで合わせ鏡の中の世界に居るような錯覚さえ起こさせるくらいに永遠に奥へと続いて見える書棚の先を覗こうと身を乗り出せば、奥の本棚の影にちらりと人の足元が見えた。一番奥の壁際のソファーに誰かが腰掛けているようだ。とはいっても足先以外は棚の陰となっており隠れて見えない。見えるのはブルーグレーのスラックスと焦げ茶色のローファーが覆う足元だけで、それが示しているのは高等部の生徒だということだ。もし、同じクラスの人ならば思い切って場所を聞いてみよう。
スザクは急いで壁側の書棚を目指した。八個目の棚を通り過ぎると、ようやくその場所に佇む人物が誰であったのかを理解した。
そうしてスザクは息を呑む。まるで、まるで……何と表現したら良いのだろう。咄嗟に出てきた言葉は〝眠り姫〟という何ともファンタジーなものだった。
「…………ルルーシュ・ランペルージくん?」
返事はない。やや俯き加減に顔を伏せる彼の目は閉じられており、あの美しい紫紺の瞳は見ることは叶わない。黒い長い睫が顔に影を落とし、すぐ横の窓からは外灯から洩れる薄い光が降り注いでいる。
「……ランペルージ、くん」
今度は落ち着いてゆっくりと彼の名を呼んだ。こんなところで彼と会うことが出来るなんて思わなかった。動かない彼をじっくりと観察するように視線を向ける。
青白いと表現しても良いくらいに白い肌に整った目鼻立ち。闇を思わせるような深くしっとりとした色合いの黒髪。手は男とは思えないほど繊細で、それは一冊の本を開くようにして添えられていた。
そこでスザクはハッとする。彼と初めて邂逅した時、彼はウラノスの離宮のバルコニーから降ってきた。それは事故でも事件でも無い、紛れもなく彼の意思だった。つまりそれは彼が自殺願望を持っているということで、それは過去に何度かあったことで……。
(ま、まさか死んでたりしない……よね?)
全く動こうとはしない彼、その上顔色は悪すぎる。精巧に造られた人形だ、と云われてしまえば納得してしまいそうなくらい完璧なる造形とその生を感じさせない容貌が相まって彼が既に死体となってしまったのではないか、という不安が脳裏を過ぎった。
「ら……ランペルージ……くん?」
(と、とにかく脈と呼吸を確認しないと!)
彼へと近付くように顔を寄せたその時だった。パチリと開いた紫電がこちらを見た。そしてスザクの視線と交わる。
「あ…………」
「ほわぁ!」
近すぎるその距離にスザクは、ルルーシュは、それぞれに声を上げた。そうして勢いよくルルーシュはバッと後ろに身じろいだ。
「な、何か用か?」
一息置いて落ち着きを取り戻したようだった彼は平静を装ってスザクへと訊ねた。スザクはそんな彼の様子にほっと安堵した。
「うん、僕は君に用があるんだ」
本来の目的を思い出したスザクはすかさずそう断言する。この場所に来た本来の目的を忘れてはならない。スザクの進級が掛かっているのだから。
「ブリタニア史でリカルド・ヴァン・ブリタニア一世についてを調べてレポートにする課題が出ていることは……君は知らないと思うけれど、そのレポートに使えそうな資料が何処にあるか知らないかな? 司書さんも誰も居なくて……聞けるのが君だけで……」
リカルド・ヴァン・ブリタニア一世――神聖ブリタニア帝国の実質的創始者である。彼はこのブリタニア帝国史の中で最も重要な人物でありながら未だに謎に包まれている部分が多いのも確かだった。そんな彼について調べ、纏め、考察することが今回の課題だった。
「ブリタニア史、か」
「うん。その僕は〝名誉〟だしパソコンとか携帯を持つことは出来ないから此処で調べるしかないんだ」
今の時代コンピュータで検索を掛ければ一発で答えは見つかるのだろう。しかしスザクにはそれが禁じられている。名誉ブリタニア人はコンピュータや携帯電話の所持が禁じられているからだ。これは嘗てテロ勢力が積極敵にそういったものを利用し、ブリタニアに抵抗してきたという事情があるからということらしく、規制は厳しい。それは譬えスザクがこの国を護る軍人であったとしても変わりはなかった。
「名誉、か」
ルルーシュは顔を俯かせるとそっと眉を寄せてそう零す。スザクが自分で自分のことをそう卑下することが気に入らなかったのかもしれない。
「うん、でも今はとにかくレポートを書く為の資料を探さなくちゃいけなくて……」
そう、とにかく今はそのことが先決だった。あと少しで図書館の閉館時間となってしまうのだから。
「三つ隣の通路の右側にある書棚だ」
ルルーシュは右手を通路の方へと向けてそう告げた。
一瞬何のことだか解らなかった。しかしスザクが彼に尋ねたのは間違いなく資料の場所であり、だいたいの位置を知ることが出来れば良いと思っていた。しかし焦るスザクに伝えられたのは的確なる資料のある場所で、まるで彼の脳内には全ての資料の在りかが刻まれているのかと思う程スラリとつかえることなくその場所を示す言葉は紡がれた。
「急ぐのだろう?」
彼はソファーに横たわるその身を起こすこともなく静かにそう告げる。
「あ、有り難う!」
礼を言うことを忘れてしまいそうになったスザクはハッとしてルルーシュに軽く頭を下げると彼は僅かに目を細めるだけだった。そうして急いで彼に教わった場所へと向けて足を速める。
他の場所よりも少し薄暗いその棚の丁度目線の位置に〝ブリタニア公リカルド〟だとか〝ブリタニア帝国の創始者〟だとかそんなタイトルが目に入る。それを片端から取り出して、両手に持つとずっしりとした重みが感じられた。
この中から丁度良い資料があるだろうか。もし余り関係無い内容だとしたらそれこそ無駄足になりかねない。しかし、迷っている時間が無いのも確かだった。
「違う、それでは駄目だ」
不意に背後から突然声が掛かった。スザクは驚いて肩をビクリと震わせてからゆっくりと振り返る。そうすればそこには先ほどよりも少し制服を着崩した彼が立っていた。
ゆっくりとスザクの横まで歩んでくる彼はそっとスザクの頭の右脇に置かれた深緑色のハードカバーを手に取るとそれをそっと引き出した。
「こちらの方がお前には役に立つだろう」
取り出された本のタイトルを見て、スザクは目を瞠った。
「――…日本語!?」
紛れもない、母国語で書かれたブリタニアの歴史書。何故こんなところにブリタニア語以外の資料が。そんな風に驚きながらスザクはルルーシュからその本を受け取る。
まだそれ程古くはない。グレーのハードカバーには金色の泊でタイトル文字が押されており、重厚な雰囲気が漂っていた。しかしそれ程厚さはなく、一時間もあれば読み終われそうな量だった。
「母国語の方が理解し易いんだろう?」
それはそうだ。このブリタニアにスザクがやって来てからの時間はスザクが日本で生活してきた時間よりも短い。とはいえかなりの年月をブリタニアで過ごしているから話すことには不便はしないが、やはりこういった専門書を読むとなると話は別で、まだまだ時間が掛かるのは事実だった。
「有り難う、ランペルージくん! でもどうして……」
どうしてブリタニア人である彼が日本語で書かれた本の在りかを知っていたのだろう。こんなにも膨大な蔵書の中から見つけ出すのは至難の業である筈なのに。
「ブリタニア以外の国に興味があったんだ。だから外国の様々な本を取り寄せて貰った」
どうやらルルーシュは日本を始めとした諸外国の書物を取り寄せて寄贈したらしい。その中にこの一冊もあったということなのだろう。
「本を読むのは好きだから」
先ほど彼の持っていた本も難しそうな分厚いハードカバーだった。きっと彼は凄く頭の良い人なのだろう。ふとそんな風に思いながらスザクは口を開いた。
「本当に有り難う。とても助かるよ」
そう礼を告げた時、突然パチリと室内の電気が落とされた。暗闇に包まれた辺りは窓際から差し込む外灯の光だけとなってしまった。辛うじてぼんやりと周囲を見渡すことも出来るが、足元は非常に暗い。
「……どうやら閉館時間を過ぎてしまったようだな」
どうしよう、と戸惑っているのに、一緒に居るルルーシュは妙に冷静に状況を一言で説明した。窓から差し込む光が二人を強く照らす。室内の電気が全て消灯されたせいで、それはより一層烈しいコントラストを作り出す。
「どうしよう……」
ギラリとその透き通った紫紺の瞳に自分の姿が映り込む。
「……此処はオートロックで閉ざされる。ドアも、それから窓もだ。ついでに云えば通気口は人の通れる大きさではない」
何故そこまで詳しいのか不思議に思うが、とにかく朝までこの建物から出る手段は外部からのもの以外には無いのだという。
「じゃあ出られない……?」
「そういうことになるな」
あっさりと認めたルルーシュにスザクは頭が真っ白になる。これでは確実に留年だ。
これだけ広いから全てが自動制御なのだ。つまりコンピュータ制御適合外のマスターキーが無い限り内側からドアを開けることは適わないということである。
「俺も携帯は持っていないから外部に連絡を取ることは出来ないからな」
「え、君、携帯持ってないの?」
ルルーシュの思わぬ言葉にスザクは目を見開いた。ブリタニア人ならば持っていて当然と思っていた携帯電話をルルーシュは持っていないのだという。
「部屋に忘れてきたとか?」
「いや、本当に持っていないんだ」
やはり所持していないのではなく所有自体していないのだという。
「困ったなぁ……レポートの提出期限、明日なんだけれど……」
密かに期待した当ても外れ、途方に暮れるようにスザクは洩らす。
「この本を使う課題か?」
ルルーシュは先ほど彼がスザクへと渡した本を指差して尋ねた。
「うん、そうなんだけれどレポート用紙が部屋で……」
規定のレポート用紙というものがある訳ではないけれど、まさかその辺に落ちている紙切れに書く訳にもいかないだろう。
「レポート用紙くらいなら此処にもある。それから筆記具もな」
スザクの不安を他所に、さも当然とばかりにルルーシュは貸出用カウンターへと向かい、スザクもその後へと付いていく。カラリと音を立ててカウンター内に備え付けられていた木製の引き出しを開けば、筆記用具やレポート用紙が几帳面に整えられて仕舞われていた。
「これは……」
「図書委員が記録用に使う用紙だが、数枚拝借したところで誰から咎められるということも無いだろう」
そうして数枚の用紙と筆記用具を取り出し、スザクの前に差し出した。
「出られないならば此処で書いてしまうと良い」
「あ……ありがとう!」
ルルーシュからレポート用紙を受け取ると、スザクはそれを眺めてからすぐに彼へと視線を戻して感謝の言葉を告げる。これで何とか留年は免れそうだ。
図書館の開館時刻は午前七時三十分。幸いこの大きな図書館には多くの設備が整っており、電気が点かないということ以外はある程度不自由しなくて済みそうだった。とはいえ朝までルルーシュと二人きりということだ。
上手くやっていけるだろうか。彼のことがあの出会った時以来気になっていたのは確かだったが、数時間誰も居ないこの図書室で二人きりというと少し不安だ。
とにかくレポートはどちらにしても進めなくてはならないだろう。スザクは受け取った紙とペンを持ち、外光が入り少しでも明るい窓際の閲覧席へと向かう。そうして席に付いたところで顔だけをルルーシュの居る方へと向けた。
「でも、どうしてこんなに図書室に詳しいんだい?」
普通は図書委員の仕事の詳細など当事者以外知り得ないだろう。それとも教室にすら来ない彼が図書委員だとでもいうのだろうか。
「……以前、仲の良かった後輩が図書委員だったからいろいろと勝手を教えてもらった」
仲の良い後輩――そちらの言葉の方が自分の尋ねた質問の答えよりも気になってしまったのは一体どうしてだろう。学院に殆ど顔を出さない彼に友人が居たということに驚いたからだろうか。
スザクは資料を捲りながら顔を上げてこちらへ近付いて来るルルーシュへと視線を送る。そうすれば彼は僅かに目を細めた。
「俺のことは気にせず、レポートを仕上げてしまえば良い」
その憂いを纏ったような表情にまるでその言葉は自分の存在など無いものと思え、と言っているように思えた。自分の存在など消えてしまえば良いのに、と。
「ううん、君には僕の話し相手になって欲しいな。この学院に来て僕が〝名誉ブリタニア人〟だということを気にしないで話し掛けてくれたのは君だけだから」
そうルルーシュの言葉をやんわりと否定すれば彼は驚いたようにその整った柳眉を上げた。
「お前みたいな奴は俺などと関わらない方が良い……」
「それはどうして?」
「不幸になるからだよ」
静かに返ってきたその言葉が一体何を表しているのか。(いや、何でも良い。それよりも……)
「僕は君の友達になりたい。そのことによって不幸になるかどうかなんて僕が判断するよ。僕は君と仲良くなりたいんだ」
「……お前、何だか自分勝手だし変わった奴だな。でも、そういうのは嫌いじゃない」
はっきりと断言すると、ルルーシュはほんの少し驚いた様子でクスリ、と笑みを零した。その彼の表情に思わずスザクは見惚れてしまう。今まで無表情か無愛想を装っていた彼の笑みはこんなにも美しいのか。確かに僅かな変化だったがそれだけでも人々を魅了させるような何かがあった。
「お前、じゃなくてさ。スザク……〝スザク〟って呼んでほしい」
それは友人になる上で欠かせないことだと思う。名前というのはその人を表す大切なものだから。それにどうしてもルルーシュには名前で呼んで欲しかった。
「…………構わないのか?」
恐る恐るといった様子のルルーシュにスザクはニコリと微笑んだ。
「勿論。君には名前で僕のことを呼んでほしい」
何故そんなにも頑ななのか。それはまだ聞くべきことではないように思えた。今、それを聞いてしまえばこの友人になるという機会すら壊れてしまいそうで……。
「ありがとう〝スザク〟、俺のことも〝ルルーシュ〟と」
「うん、よろしくね。ルルーシュ」
にこりと笑みを返せばルルーシュはスザクの隣の席に座った。閲覧用の机は自習用の机とは異なり、一つの長い机に椅子が置かれているだけで、区切られた空間ではない。
すぐ隣でこちらを見詰めるルルーシュに、スザクは何だか嬉しい気持ちが溢れてくる。そもそも日本に居た頃からスザクに〝友人〟と呼べるような存在は居なかった。枢木ゲンブ首相の嫡男であるということやスザクの性格が真っ直ぐでありながらも今より乱暴だった為、友人を作ることが困難だったということもある。
そしてブリタニアに来てからは軍人として生活してきた。名誉ブリタニア人同士の結束は弱い。エリアと呼ばれる地域の名誉ブリタニア軍人ならば軍に居る仲間も同郷であるだろうが、本国在住の名誉ブリタニア軍人は様々なエリアから集められた烏合の衆である。言葉も上手く通じず、お互い分かり合おうともしない彼らの中で友人を作ることは適わなかった。
「君と友達になれてすごく嬉しいんだ。僕、今まで友達なんて居なかったから……」
「そう……なのか?」
驚いたように顔を上げたルルーシュにスザクは苦笑する。
「あ、ごめんね。そんな暗い話をするつもりじゃなかったんだけれど……」
慌てて謝ればルルーシュは左右に首を振って否定する。
「いや、そういう意味ではないんだ。お前のような奴にはもっとたくさん友達がいるものだと……」
「そんなことないよ。それに僕は名誉ブリタニア人だから」
首を軽く左右に振ってやんわりと否定すればルルーシュは僅かにその柳眉を寄せた。
「強者が弱者を虐げる……そんな国是だからお前のような良い奴がブリタニア人でないというだけで差別される。ブリタニアの血なんて、そんなものの何処が良いのか」
「ルルーシュ……それは……」
「他人に聞かれたら皇帝に対する不敬罪だと罵られるだろうな。得にこのような学院では純血が何よりだから。だが、お前はそんな告げ口したりしないだろう?」
柔らかく微笑むその表情にはどこか悲しげな色が含まれており、スザクは声を出さずに軽く首を縦に振った。
「俺は、この国がいつかそんな差別を無くして弱者に対しても優しい世界になればと思うよ」
「ルルーシュ……」
「さてこの話は終わりだ。それよりもスザク、レポート書かないと終わらないぞ」
「あ、そうだった……」
スザクは視線をルルーシュから目の前に広げた資料へと戻す。横書きに綴られた日本語の合間合間には資料となる図や写真が散りばめられている。歴史的人物を描いたフレスコ画や油彩画は色鮮やかに復元され、豊かな色彩を映し出していた。
「そういえば君って僕と同じクラスなんだよね?」
首を傾げて尋ねればルルーシュは軽く頷く。
「……ああ、一応はな」
やはり彼は自分と同じクラスらしい。とはいえ編入してから一度も教室でルルーシュの姿を見掛けたことはなかったが。
「学校には来ないのかい?」
「……この一年は一度も登校していない」
思っていた疑問を尋ねれば、ルルーシュは驚愕の事実をスザクに告げた。一年間一度も登校していないということはつまりこのままいけば卒業どころか進級すら危ういのではないだろうか。スザクのレポートを心配している場合ではないと思う。
「それって留年にはならないの?」
「さぁな。俺の勘違いでなければ俺はお前と同い年の筈だが」
今のところ留年は免れているようだがこのままでは三年に進級することは不可能だろう。
「学校、来なよ。このままじゃ来年は別々のクラスになっちゃうよ」
一学年につき一クラスしかないこの学院で別々のクラスになるということはつまりどちらか片方が留年するということを示唆している。
「学校か…………」
ルルーシュはそう言葉を洩らすとそっと息を吐き出した。
「うん、折角友達になったのにさ、君が学校に来なかったら意味が無いよ。一緒に時間を共有してこそ、だからね」
「……分かった。俺も学校に行こう。だが、お前は俺が学校でどのように扱われているか多少は知っているのだろう?」
紫色の瞳を僅かに細め、スザクへと向けられる。
「他の人なんて関係ないよ。僕が君を守るから!」
その言葉にルルーシュはキョトンとしたような表情を浮かべた。何か的外れなことでも言ってしまっただろうか、と内心焦る。しかし、すぐに彼の表情は笑みへと変化した。
「ありがとう、スザク」
この図書館で再会してほんの数十分しか経過していないというのに、こんなにも彼と通じ合えるなどと思わなかった。
「そういえば……その、スザク。初めて会ったときは少しいろいろあって取り乱していて……迷惑を掛けて済まなかった」
どこか申し訳なさそうにそう謝罪の言葉を口にするルルーシュに、スザクは微笑み返す。
「迷惑、だなんて思っていないよ。君がもし……もしあの場所で本当に命を絶っていたならば、こうして僕のレポートを手伝ってくれることもなかった訳だし、僕と君が友達になれることもなかったでしょ?」
あの時死んでしまっていたらこうして二度目の再会など有り得なかった。死んでしまえばそれまでなのだからスザクはその後ルルーシュに一度も出会うこともなく、もしかしたらこの先ずっと友達と呼べるような存在を一生得られなかったという可能性もある。
しかし結果的にスザクはあの時ルルーシュの命を救い、二度目の再会を果たした今、こうして友人同士となりえたのだ。あの時のアーサーという猫にはとても感謝している。
「ああ、そうだな。お前のお陰で今がある」
「うん、だからさ、もうあんな危ないことはしないで」
「……善処する」
少し間を置いてからルルーシュは頷く。しかしその言葉はスザクの言葉に出来る限り沿うように行動する、という意味しか含んでおらず、同じように再び自ら命を絶とうとするような行動をしないと約束した訳ではない。だけれども今はこの言葉で充分だと思った。
「ありがとう、ルルーシュ」
スザクはレポート用紙へと再び視線を戻す。そこはまだ真っ白な紙に罫線が引かれただけの白紙状態だった。
「はぁ……。そもそもレポートってどうやって書くんだろう……? 今までそんなの書いたこと無かったんだった」
「…………大丈夫なのか?」
ルルーシュが心配そうにスザクの顔を覗き込む。そしてすぐにスザクが開いていた資料へと視線を移した。
「駄目…………かも」
「そもそもレポートの書き方が解らないとなると話にならないな」
「……そう……だよね……」
スザクはネイティブではない上に何年も学業から離れていた。それなのに同じ歳の普通に教育を受けてきたブリタニア人に対してのものと同じレベルの課題を出されても毎度途方に暮れてしまうのは仕方のないことだと思う。
「仕方ない。何もすることなく此処に居ても暇だからな、俺が見てやるよ」
「え……ルルーシュが?」
突然の提案に驚いて顔を上げるとルルーシュは薄く笑みを浮かべながら眉を寄せた。
「何だ、一年間学校を休んでいる奴では頼りないか?」
「ううん、そんなことないよ。是非お願いします」
嬉しかったのだ。友人と一緒に宿題をするということが。今までセシルに教わることはあれど友人と共にこうして笑い合いながら課題をこなすことなど無かったから。
「よし、では始めるぞ」