False Stage1-05
ルミエールへと戻ると硝子製の玄関ホールへと繋がる扉を開く。開けばそこには眩いばかりのシャンデリアが光輝ききらきらと室内を照らしていた。白い大理石の床には年代物の美しい織り模様のカーペットが敷かれており、足音を吸収する。
そこには人は殆ど居らず、それでもそこにいる何人かの学生達は自分のことをチラチラと見て様子を伺っていた。
ルルーシュ・ランペルージと仲良くしていただけでこんなにも態度が変わるとはどういうことなのだろうか。
玄関ホールを抜けるとラウンジと呼ばれる広間があり、そこでは学生同士の交流が可能だ。共有スペースの為、誰が使用しても構わないのだが、大抵は監督生が仕切っている。
「お帰り、クルルギ騎士侯。随分と遅かったですね。噂では……ルルーシュ・ランペルージを捜していたとか」
「うん、お陰さまで無事に会うことが出来たよ」
ニコリと言い返してやれば監督生は眉を寄せてその表情を変化させた。
「それはそれは。良かったですね、さすがは名誉ブリタニア人であるのに騎士侯の位を頂くだけはある。人に平等なのは良いことです」
がやがやとした喧騒は監督生が言葉を発した時からぱたりと途絶えていた。皆スザクと監督生とのやりとりを静かに見守っている。
監督生はブルーグレーのアンティークソファーに腰掛け、こちらを見詰めている。その両脇にはいつも彼の傍にいる二人がスザクのことを睨み付けるように鋭い視線を送っていた。
「君たちも変な差別なんて止めてさ、仲良くなれば良いのに」
これは素直な感想だった。過去に何があったか知らないが、ルルーシュはとても良い奴だ。友達として最高だと思う。それなのにそのことを知らずに過ごすなんて勿体ない。もしこれがその身体に流れる血によって分けられたものなのだとしたら何と無意味なことなのだろう。
「……そんなこと、出来る筈がないでしょう?」
スザクの予想通りだったかもしれないし、もしかしたらそうではなかったのかもしれない。しかし、監督生やその周囲から発せられた言葉はそんなものだった。
「僕たちは貴方とは違います。この身に課せられた義務がある。爵位を継ぎ、そうしてこの国に貢献すること。それが貴族の義務であり、僕たちの目指すところでもあります。それを庶民と遊んで日々を生活しているようでは社交界では立ちゆきませんし、それ以前の問題というものも存在しているのです。最初に云ったでしょう? 彼に近付くと不幸になると、ね」
「何故不幸になるなんて断言することが出来るんだ!? どうしてそこまで……」
「今に解りますよ。彼と仲良くなった人物が今までどんなことになっていったか……」
その言葉にふとルルーシュの云っていたことを思い出した。
〝……以前、仲の良かった後輩が図書委員だったからいろいろと勝手を教えてもらった〟
そういえばその後輩とルルーシュが仲良くしているところを見たことはない。それに友達はスザクが初めてだと云っていた。ということはその後輩は友達ではなかったというのだろうか。
「まぁ良いでしょう。我々もそろそろ各自部屋に戻るとしましょう。明日も早いですしね」
コルチェスター学院。そこは貴族の子供や大金持ちの家の子供達の通う特別な学校。そこに通っている人物はまず庶民とは無縁の生活を送っている。スザクとて一応は貴族の一員ということになっているけれどもそれはやはり名前だけでお飾りに過ぎない。
しかし、ルルーシュはどうなのだろう。あんなに暗い部屋に住んでいて、しかし待遇は他のオンブレ寮に住んでいる人たちとは別格のようだった。しかしそれでもルミエールに住んでいる訳ではない。何故そのような扱いの差があるのか、何故それを誰も疑問に思わないのか。謎は多い。
「ああ、そうだな。もう戻ろうぜ!」
他の学生達も監督生の意見に賛同する。スザクは自室に戻っていく彼らを傍目に大きく息を吐き出した。
やはりこの学校はおかしい。普通の学校に通ったことがあるという訳ではないが、それでもこの学校が異常であるということは解る。そこまで自分が非常識だとは思っていない。
この学院は男女共学校である。寮はルミエール、オンブレ共にそれぞれ広間を中心に左右に分けて男子、女子の居住スペースをとってある。
ルミエール寮に関しては実家または本人が爵位を持っていなければ入ることが出来ない寮なので一般の寄宿学校に比べればその人数はかなり少数だと思う。オンブレという爵位は持たないが多額の寄付金を寄贈出来るような大金持ちの家の子供達も受け入れている寮は存在するが、それも数は少ない。
その中で監督生といえばその寮で最も名誉のある称号であり、大抵はルミエールの監督生が学年の首席であるらしかった。つまり監督生の彼は自分たちの学年全体での首席になるのだろう。
スザクも彼らに倣って自室の部屋へと戻ろうと足を踏み出す。このラウンジの奥へ行くと左右それぞれに真っ直ぐの廊下が続いておりオンブレと同じく五階建てで、それぞれの各階ごとに部屋が分かれている。しかし、オンブレよりももっとゆったりした造りになっているのは単にこちらの方が人数自体少ないからだと思う。貴族であるのだからこの部屋でもきっと狭いと彼らは感じるのだろうが、スザクにとっては広すぎる部屋だった。
「何なんだろう、本当に」
部屋に戻り、扉を閉じてまず声になって出た言葉はそれだった。確かにスザクも日本ではキョウト六家と繋がりの深い枢木の出だ。それでもこんな風な慣習はないし、長年続いている由緒正しい家柄だとしてもそれはどうということもないと思っている。
「でも、嬉しかったな」
ルルーシュと過ごした時間についてを思い出せば先ほどの苛々した気持ちはすぐに消え去ってしまう。我ながら単純だとは思うがそれくらいルルーシュと過ごす時間は大切であり楽しいものだった。
数日間はあっという間だった。毎日きちんと登校して来てくれるのはスザクが居るからだと彼は笑う。共に授業を受け、共に休み時間を過ごし、昼食はルルーシュの作ったお弁当だ。毎日日替わりで違ったメニューを考えてくれるのはとても嬉しい。献立やレシピを考えるだけでも大変だということは一人暮らしを経験したことのある人ならば解ることだ。
最近では時折和食のメニューも登場し、スザクを大いに喜ばせている。本当に二人で過ごす時間は楽しくて仕方が無かった。
そんなスザクの嬉しさが比例するようにランスロットの実験の結果もどんどんと向上し、新記録を樹立していく。実戦に投入される機会も増え、特派の立場も次第に良くなって来ている。
「スザク、明日のリクエストは?」
弁当の話だ。今日は和食で鮭と昆布の佃煮のおにぎりとだし巻き卵、きんぴらごぼうにほうれん草のおひたし、それから魔法瓶に味噌汁を入れてきてくれた。なかなか今時日本人でさえ作る機会少なくなっている庶民的な和食だった。それを食べたこともないのに完璧に再現してしまうルルーシュの料理の腕には脱帽せざるを得ない。
「うーん、ルルーシュの作る料理ってみんな美味しいから迷うなぁ。いつも僕の好きな物を作ってくれるからルルーシュの好きなものを作ってくれたら嬉しいな。でも毎日大変じゃない? こんなに本格的なものって作るの凄く大変だと思うけれど……」
「そんなことは無いさ。お前が喜んでくれるだけで嬉しいから」
そんな風に言うなんてもう何というかスザクを喜ばせる為にわざと言っているのだろうか。聞いてみればそんな意図はないというのだから恐れ入ってしまう。
「有り難う。でも無理はしないでね」
「ああ、問題ない」
ルルーシュと仲良くなってから彼が以前のように自ら命を絶とうとすることはなくなった。とはいえまだそんなに長い時間を過ごしている訳ではないから何とも言えない節はあるが。それでもきっと以前のような行動に出ることは無いだろうとスザクは思う、思いたい。
「もうすぐ夏休みだね」
「ああ、そうだな」
あと一週間も経たないうちに学院は夏休みへと突入する。殆どの学生が実家へ帰るというがルルーシュはどうするのだろう。
「ルルーシュは家に帰るのかい?」
きっとルルーシュも実家に帰るのだろうな、思いながらスザクは尋ねる。自分には帰るところなど存在しないからきっと夏休みは学院でひとりぼっちの生活を送ることになるのだろう。
「俺は此処に残るよ」
「え……?」
思わぬ返答にスザクは目をパチリと開く。ルルーシュも夏休みは学院に残る?
「その……俺はこの学院の敷地内から出ることを許されてはいないんだ」
長いとは言えないが短いとも言えない時間を二人で過ごしてきたが、それは初めて聞いた真実だった。
「……何だって!?」
学院の敷地内から出ることを許されていない。一体誰に? 彼の両親から? はたまた学院の理事長だろうか。
「良いんだ。慣れているし、気にしないでくれ」
そんな風に押されてしまえばスザクにはこれ以上追求することなど出来ない。
「お前も残るんだろう? それならば俺は嬉しいよ」
そう言って零した笑みには何処か哀しげな感情が含まれているようにも思えて、スザクは気が付けば彼の身体を抱きしめていた。
「……スザ……」
抱きしめる、というよりも抱きつく、といった方が近いかもしれない。スザクの突然の行動に戸惑ったような声を洩らしたのはルルーシュの方だった。
薄暗い彼の、ルルーシュの、部屋は明かりを点けたとしてもやはり薄暗い。そんなぼんやりと淡い光は逆にどこか幻想的な雰囲気さえ感じさせる。
ルルーシュの容貌も相まって、この空間は至極神聖なものにさえ思えてきてしまうことさえおかしいとは思えなかった。
「ルルーシュ……」
彼の胸へ耳元が触れる。そうすればドキドキとした彼の鼓動が聞こえるようだった。きっと同じように自分の心臓も高鳴っているのだろう。男同士で何をやっているんだ、と思うがそれでもこうせずにはいられなかった。
「ねぇ、今すぐにとは言わないけれどいつか……話せるようになったら教えて欲しい。君がどうしてそんなにも死を望んでいたのか。それにこうして学院に閉じ籠もらなければならなかった理由も。僕に話して少しでも心が軽くなるなら遠慮はしないで」
「……スザク……」
ルルーシュは戸惑いながらもゆっくりとスザクの背へと手を伸ばす。触れた身体は予想よりも少し温かかった。それでもこの心は冷たく沈んだまま。何かは解らない。不安と焦燥、ずっと感じ続けていた何かが洩れ出しそうで、スザクは腕に力をグッと篭める。ふわりと香るルルーシュの甘い香りに更に鼓動が早まっていく。
そっと腕を解いてルルーシュの顔を覗けば彼の顔は僅かに紅潮していた。いつもならば澄んだ表情をしている彼のこういった反応が意外だった。
紫紺の瞳は僅かに潤んでおり、きっとずっと誰にも自分自身の境遇を話すことも侭ならずにため込んでいたのだろう。どうしたら良いのか解らず戸惑う姿も可愛らしいと思ってしまったのはどうしようもない。
「……有り難う、スザク。でもどうか……解ってくれ。今すぐにお前に話す覚悟は無いんだ。もう少し、ゆっくり考えさせて貰っても構わないか? 容易に言えるようなことではないんだ……」
「うん、構わないよ。話したくなったら話してくれれば構わない。そんなことでルルーシュのことを嫌いになったりなんか出来ないよ」
それどころかどんどんルルーシュという人間に惹かれていってしまっているではないか。こんなにも魅力的な人に出会ったことなど今まで一度も無い。それは決してそれは容姿のことを言っているのではない。友達として、いや、親友として、これ以上の存在は無いと思う。
「ルルーシュ……」
「スザク…………」
二人の距離は今までに無いくらい至近距離だった。初めて出会った時よりもその距離は近かった。それは物理的な意味合いなどではない。心の、精神的な、そんな繋がり。
今ならばはっきり言える。親友はルルーシュだ、と。
二人の距離はこれ以上縮まることもなく、離れることもない、正しく微妙な均衡を保っていた。これ以上近付きすぎれば親友という壁すらも越えてしまう。しかし、離れるには惜しい。そんな妙な感覚に囚われながら、ルルーシュを見れば彼も同じような感覚を抱いているらしかった。
ずっとこうしていたい。そう思いながら彼の顔を凝視するもの恥ずかしいので視線を壁際へと移す。そうすれば視界へ入ってきたのは壁掛けのアンティーク時計で、その数字は午後六時四十二分を指していた。
「やばっ!」
突然声を上げたスザクにルルーシュはビクリと身体を戦慄かせた。
「な、何だ!?」
思わずスザクからガバッ、と音を立てる勢いで離れたルルーシュの身体に寂しさを感じながらスザクは慌てて説明する。
「もう軍に行かなくちゃ……!」
最近は実験というよりも突然のテロへと備えた待機が多い。本当に最近、帝都周辺のテロが頻発している。その理由は定かではないが、帝国に対する国民の不安が高まっているのは確かだった。皇宮内での覇権争いが激化しているという噂も聞く。近々皇位継承戦争が勃発するだろうとまで噂される始末だ。
先日対面した第二皇子シュナイゼルが次期皇帝に最も近い存在だとされている。しかし第一皇子だって負けてはいないし、それ以外の存在とていつ台頭してくるとも言えない。華やかに見える場所こそ最も血に飢えているのだ、と上司のロイドが笑っていたのが印象的だった。
詳しいことはスザクには解らないが、一度継承戦争が勃発すれば貴族達は自らの支持する皇族に付き、そうして国を割る勢いで戦争となるのだという。現在の皇帝であるシャルル・ジ・ブリタニアとて多くの兄弟を殺し、そうして玉座に就いたのだとされている。皇帝が代替わりするごとにそんな大戦争を起こして大丈夫なのかと心配にもなるが、それがこの国の伝統だというのだから致し方ない。
「そう、か」
未だに動揺を隠し切れていないルルーシュはそうして立ち上がったスザクを見上げた。
「うん、ごめんね。また明日、学院で」
「ああ。明日」
スザクはルルーシュの部屋を後にした。
いつも二人で会う時は大抵ルルーシュの部屋だ。薄暗いのは確かだが、部屋は広いし、快適だ。ルミエールにルルーシュを連れて行くこともきっと不可能ではないだろうが、スザクの部屋に辿り着く前に様々な厄介事に巻き込まれることは容易に想像出来る。そんなことになるならば最初から回避するのが定石だろう。
最上階の屋上庭園を抜けると階段を下りてすぐさま特派の置かれている皇宮領へと走る。
一時的な施設としての扱いなのか特派はトレーラーの中に設備を整えていた。ロイド曰く、その内ちゃんとした研究所が作られるよ、ということらしい。
しかしこれはこれですぐに研究室ごと現場へと向かうことが出来るという点に於いては優れていると思うので、必ずしも常設的な研究施設は必要ないとも思えた。
「スザクくん! 急いで頂戴! 緊急要請よ」
スザクがトレーラーへと入るや否やセシルの声が耳へと入ってきた。その知らせは緊急出動要請だ。
「は、はい!」
先程までのルルーシュとのゆったりした時間に慣れてしまっては駄目だ。軍務では一瞬の躊躇が命取りになる。自らの命を守る為にも集中力を途切らせる訳にもいかないのだ。
「ペンドラゴン東南部に於いて爆発物が爆破したとのこと。ランスロットは人命救助を手伝うように要請させているわ」
そう、戦争に行く訳ではないのでランスロットが他のKMFと戦うことはそう多くない。もし敵国のKMFがこのブリタニア帝国帝都に侵入を果たしたのならばそれこそ大問題だ。
スザクの任務は大抵人命救助やら瓦礫の片付けやらそんなものが大半だ。しかし、今後ランスロットの価値が広く議会にも浸透してきた場合、戦争にも借り出されることもあるかもしれない。そうなればスザクは今まで以上に人を殺し、そうして他の国を占領しなければならなくなる。
もしかしたらその最初の国が自分の祖国になる可能性とて否めない。本当にそれが現実のものとなればスザクに断る権利など在りはしない。
不安に思いながらも自分に拒否権など無いのだ。もしそうなればスザクが願うのは一刻も早い戦争の終結。その為ならば従妹の神楽耶を殺すことだって躊躇うことなど出来ない。
「大丈夫よ、怪我人は少なく済んだみたい。もう病院に運ばれているから本当は後処理だけなのよ」
それでもこのランスロットが、スザクが、その現場に借り出されるということは誰かが裏で特派にそうした現場での実績を作らせたいという思惑を持っているからなのだろう。そうでなければ警察に任せれば済む筈のことであるし、態々軍が登場するまでもないことだ。
「解りました、すぐに準備を」
スザクはパイロットスーツに着替える為に更衣室へと向かった。
すぐに夏休みはやって来た。スザクは軍務をこなしながらも出来る限りルルーシュと共に過ごすことを約束していた。スザクの成績を見かねたルルーシュが勉強を見てくれるということで、勉強は余り好きではないが、夏休みの楽しみが増えたのは確かだった。
ルミエールの寮からも人の姿は消えた。さすがにルミエールで寮に残る者は存在しないらしい。スザクを除いて。
何かある度に突っかかってくる同級生達は今は居ない。それだけで心がスッとするのも否定は出来ない。
「ルルーシュ、この計算式で何でこの答案になるか全然解らないんだ。だって此処はXの二乗で……」
「ん? ああ、この式は先にこっちの括弧を外してから……」
ルルーシュは隣に座るスザクの顔を覗き込むようにして下から上目遣いでスザクを見る。双眼とも美しい赤みがかった紫色で、白い肌と黒い髪のコントラストを彩る。シャープペンシルを握る男にしては細く繊細な指先は綺麗に整えられ、桜色の爪の先まで完璧な造形で表現されていた。
そんな彼に見詰められると思わず変な衝動がわき起こってしまいそうなそんな感覚に囚われる。そういった趣味は持っていないつもりだが、彼ならばもしかしたら違和感はないかもしれない。そのことを彼に言えばきっと殴られるだろう。絶交だと言われても仕方が無いくらい邪な考え。脳内でそれを否定しながらスザクは友人として接し続ける。
二人だけの空間、ルルーシュの淹れてくれたお茶の良い香りが漂う。人生で一番幸せなのではないかと思うくらい平穏な時間だった。
「スザク、おい、聞いているのか?」
ルルーシュの睫がぱちぱちと瞼を瞬かせるのと同時に揺れる。紫玉の瞳がこちらを映していることに気が付き、スザクはハッとした。
「あ、ごめん。ちょっとぼうっとしていたみたい」
「全く、ちゃんと俺の説明を聞けよな。解らなくなって困るのはお前だぞ」
ノートの端をシャープペンシルの先でコツコツと叩きながらルルーシュはニヤリと笑う。
「今のうちに一年半の遅れを取り戻すのだろう?」
「うん! 学年末テストで一番なんて凄いよ。ずっと休んでいたのにさ」
夏休み、それは学生達が学校から解放され、自らの家の名前を背負い、社交界へ足を踏み入れる時。この定義はもしかしたらこの学院に限定されたことだけなのかもしれない。しかし、この学院ではそのことは当たり前で、それ以外には表現しようがなかった。
つまり、この夏休みに起こった出来事は譬え学院の敷地内であっても学院側は責任を取らないということらしい。そんな学院の方針を誰もが受け入れているのでスザクも大して気にしたことは無かった――二人でルルーシュの部屋を出て、図書館へと向かおうと思うまでは。
宿題を片付けると、ルルーシュが図書館に本を借りに行くということでスザクもそれに付いていくことにした。普段本など読まないが、ルルーシュは本を読むのが好きなようだった。その内容も哲学書から小説、論文、雑誌……多岐にわたっており、スザクはいつも感心するばかりだった。
「別に無理に付いて来なくても良いんだぞ」
「大丈夫だよ。久しぶりの休みで暇なんだ」
今まで毎日軍務、または学校の授業が詰め込まれていたのだからこの状況はスザクにとって暇でしかなかった。それならば退屈に一人で過ごすよりも本を読んでいるルルーシュを眺めている方が楽しいものだ。
「なら良いのだが」
ルルーシュはそう告げながらオンブレ寮の玄関扉を開いた。そうしてすぐに違和感に気が付く。
「え……何で……?」
スザクは辺りの様子を見て、思わずそう洩らした。
「お久しぶりですね。お二人方」
そこに立っていたのは監督生の少年だった。いや、彼だけではない。他にもルミエールに住まう少年達がこのオンブレ寮を囲むようにして待ち構えていた。
「先日の雪辱を果たしに参りました」
スザクは一瞬何のことだか解らず考える。この監督生の少年に自分は何かしただろうか。
「今までこの一年間、僕はこの監督生という地位の通り学年首席を維持してきました。しかし何ですか? そこに居るルルーシュ・ランペルージはどんな手を使ったのか……私よりも上位の点数を取った。一年間も休んでいたのにこの僕の成績よりも高い点数を取るなど……不正を働いているとしか思えません」
「ちょっと待ってよ。ルルーシュがそんな不正など……」
監督生に断言され、スザクは慌てて口を開いた。
「不正が無かったと、言い切れるのですか?」
「そんなこと、する訳がない! だってルルーシュは本当に頭が良いし……」
監督生はルルーシュを庇うスザクに向けて眉を寄せる。
「貴方には聞いていませんよ。クルルギ・スザク騎士侯」
その言葉にルルーシュは眉を顰めて、ようやく口を開いた。
「…………俺が不正を働いて得する理由は?」
「さぁ、貴方にしかそれは解りませんよ。ルルーシュ・ランペルージ」
とにかくこの監督生はルルーシュをどうにかして貶めたいらしい。そもそも思えば最初からルルーシュのことを目の敵にしていた。彼の周りに集まる少年達も同様に。
「ねえ、何でそんな風にルルーシュを敵視するんだ!? ルルーシュは何も悪いことなどしていないじゃないか!」
正当に試験を受け、その結果が良かっただけなのだ。それなのにこんな風に言われなければならないなど理不尽極まりない。幾ら夏休みの学生生活について学校側が一切関知しないからといってその機会を狙ってこうしてルルーシュを追い詰めようとするだなんて。
「やはり下賎は下賎同士気が合うようですね」
「っ、ルルーシュはそんな……」
下賎などと呼ばれて良いような存在などではない。よっぽどこの監督生の方が卑怯で、卑劣で。
「いや、次期伯爵様が云うのならばそうなのでしょう。あなたたちの云う〝下賎〟が庶民のことを表すのならば確かにその通り、俺の中にはお前達の云う〝下賎〟の血が流れている」
「ルルーシュ!?」
監督生の言葉を肯定するようなルルーシュの言葉に驚いたのはスザクの方だった。
「認めましたか、ルルーシュ・ランペルージ。庶民はどう足掻こうが所詮は庶民。その身体に流れる凡庸なる血は決して僕たち貴族のものを超えられることなどないのです」
「っ、血で何が変わる!? 貴族の血が流れていなくたってルルーシュは君たちよりも余程優秀だ!」
「……スザク、良いんだ」
スザクの肩を掴み、ルルーシュが制止を掛けるがそれでは駄目なのだ、とスザクはルルーシュへと目を向けた。
「いや、駄目だよルルーシュ。この学院はおかしい。爵位にばかり拘ってその人の本質を誰も見ようとはしない。そんなの間違ってる!」
「スザク……」
「君たちは何をした? 爵位を持たない家の人間を蔑み、嘲笑い、見下した。君たちの爵位など皇帝陛下の一言があるだけで無くしてしまえるようなものなのに」
スザクは一気にそう吐き出す。それは今までこの学院に入ってからというものの考え続けていたことだった。
「っ、このイレヴンごときが偉そうな口をっ!」
ルルーシュとスザク二人に向かってくる少年達。スザクは職業軍人でもあるから彼らに手を上げるようなことは出来ない。それを解っていて彼らはこのタイミングを狙ってのだろう。
「ルルーシュ・ランペルージ。貴方が先日の試験で不正を働いたこと、そのことを謝罪すれば今までの無礼な発言も無かったことにして私たちもこの場を退きましょう」
無かった不正を認め、そうして謝るようにと要求するなど余りに理不尽だ。
勿論現在この学校には教員は一人も居ない。職員は存在するが事務員や清掃員である彼らは学院内のいざこざには決して関わらない。それはこの学院に通う学生達が貴族だからだ。彼らが貴族に対して口出し出来るのならば、きっとそんな仕事には就かないだろう。
「……解った」
あっさりとルルーシュは頷いてしまう。スザクにはその言葉に目を瞠った。ルルーシュが一体何を考えているのか全く解らなかった。
「俺が不正を働き、この間のテストで学年一位を取ったことを謝れば良いんだな」
ルルーシュは確認を取るように監督生に訊ねた。
「その通り。やはり貴方にはプライドの欠片も無いようですね」
監督生は嗤う。何事においても完璧であるルルーシュを打ち負かしたつもりになって勝ち誇ったように。
「ルルーシュ・ランペルージはテストで不正を働いた。その上もっと悪いことに彼は過去にも多くの悪事を働いている。知っている人は少ないのかもしれませんが、この際その全てを皆の前で断罪してはいかがですか? 貴方の友人であるクルルギ・スザク騎士侯の前で」
「一体、何をッ!」
スザクが声を上げようとすれば後ろから別の学生にスザクの口を塞がれる。両腕をも拘束され、身動きが取れない。
「ルルーシュ・ランペルージがこの学院の敷地内から出られない理由――それは彼が彼の従弟を殺したからですよ」
――殺した? 誰が誰を?
聞き間違いだと思う。もしくは監督生の作り話なのだろうと。しかしルルーシュは否定しなかった。
「な、何を……」
抵抗が弱まった為にスザクは口を開くことを許された。しかし洩れ出た言葉は言葉にすらなっていなかった。
「ですからルルーシュ・ランペルージは彼の従弟であるロロ・ランペルージを殺したのですよ」
――ザワッ
辺りが一斉に響めいた。きっとその話を知っているものは本当に限られた一部の者だったのだろう。
「否定はしませんよね? ランペルージくん」
「………………ああ」
ルルーシュが人殺し? 一体、何故。何か理由があるに違いない。けれども彼は言い訳すらしようとしなかった。全てが自分の罪だというように。
「……俺が従弟で図書委員だったロロを、ロロ・ランペルージを、殺した。それは間違いない、事実だ」
ルルーシュがもう一度言い直したことにより更に周囲の喧騒は広まる。人殺し、とルルーシュを詰るような声が上がればもう辺りは滅茶苦茶だった。
図書委員の後輩。仲が良かったと言っていた。それはもしかしなくとも従弟のロロのことだったのではないだろうか。しかし何故仲の良かった相手を殺す必要がある? きっと故意ではなく事故だったのだ。そうに違いない。それなのに!
「さあ皆に過ちを認め、謝罪するのです。そうすればきっと貴方の従弟も救われるのでは?」
もう何が何だか解らない。何故こんなことになってしまったのだろう。
スザクは混乱し始める自分の頭に、自分の理解力のなさを嘆いた。しかし、そんなことをしても何も始まらないのは当然で、一刻も早くこの事態を収拾すべきだと思ったのは随分と経ってからだった。
「駄目だ!」
声を上げたのはルルーシュではなくスザクだった。両手を押さえられていたとはいえ、本当はスザクの力であれば簡単に振り解くことも可能だった。それでも甘んじて受け入れてしまっていたのはスザクが心の奥底で真実を知りたがっていたから。けれどもこれ以上は許せなかった。
「ルルーシュッ!」
スザクはルルーシュの手首を掴むと、力一杯引っ張った。ルルーシュはスザクに引きずられるようにしてルミエールへと運ばれる。スザクの力の強さに眉を寄せながら、それでもスザクから逃れることは出来ないルルーシュは何とかしてスザクに付いて行った。