False Stage1-10
どうしてだろう。ずっと独りで過ごしていた筈なのにこんなにも簡単に彼を受け入れてしまった。何度だって死のうと思った。それなのにいつも邪魔が入ってしまう。それも定められたことなのか。
「…………スザク」
先に出て行ってしまったスザクの部屋にルルーシュは独り残されていた。物の少ない、静かな部屋だった。机の上に何冊か教科書が積み重なっており、それ以外のスペースにはこの寮にはじめから備え付けられている家具や設備があるだけ。きっと学校が無く、自分と過ごす時間以外の時間は軍に身を寄せているのだろう。だからこそ無駄なものは必要ないのだ。
「ロロ…………」
嘗て従弟だといってこの学院に転入してきたルルーシュの監視役だった。監視役の名の通り、彼の仕事はルルーシュを見張ることだったのだという。ルルーシュがこの学院から逃げ出さないように。ルルーシュが死なないように。そしてルルーシュが自ら命を絶たないように。
それなのに死んだのはルルーシュではなくロロの方だった。彼はルルーシュが自分を慕ってくるそういった年下の少年や少女を邪険に出来ないことを知っているからこそ、送られてきた存在だった。
いつもルルーシュにくっつくようにして行動を共にし、そうして本当の兄弟のように彼はルルーシュに接した。
〝血が繋がらなくったって僕にとって尊敬する兄なんだよ、兄さんは〟
そんな風に浮かべる微笑み。それすらきっと全ては仕組まれたものだったのだろう。
信じることを止めてしまった筈のルルーシュはいつの間にかロロを信じるようになっていた。本当の弟のように扱い勉強を見てやったり、昼食を一緒に取ったり、仲良く過ごすようになってしまった。情、というものが湧いてしまったのだと思う。図書委員として生徒会の役員となったロロに何故図書委員なのかと聞けば、ルルーシュがいつも図書室で本を読んでいるからなのだ、とはにかんでみせたりもした。そんな過去の出来事を思い出しながらルルーシュは眉を寄せた。
(何故、何で……)
――こんなことになってしまったのだろう……。
自分の周囲はいつでも血に塗れている。そのたびに絶望した。諦めた。生きることを止めようと思った。それでもいつも死ぬことが出来なかった。生きていないと言われつつ死ぬことも出来ない。
そんなことを考えていると〝亡霊〟という単語が脳裏を過ぎる。自分のことを表すのになんて的確な言葉だろう。
手に入れたものなど何も無かった。ただただ喪うばかり。それなのにどうして彼は手を差し伸べてくれるのだろう。何故笑いかけてくれるのだろう。どうしてこんな穢れた身を抱きしめてくれるのだろう。
いつの間にか彼と居る時だけが自分の〝本当〟になってしまっていた。けれどもそれもきっとすぐに喪ってしまうのだ。
――だって今までもずっとそうだったから
手に入れたと思ってもすぐに離れていってしまう。これが自分に課せられた運命であり罪であり罰なのだ。
「……いつまでもこの部屋に居るわけにもいかないな」
此処はスザクの部屋だ。勝手にいつまでも居座っている訳にはいかないだろう。幸いドアは外側から鍵を掛けなくとも自動的にロックされる仕組みらしい。それならばこのまま出て行ってしまっても構わないだろう。日の決して当たることのない陰の中へと戻らなければ。日に当たった光の世界など闇に包まれた自分には決して似合わない場所だから。
ルルーシュは軽く音を立てて部屋のドアを開けると、廊下へと出た。そこは静寂に包まれており、ルミエールの学生達がこの寮へは戻っていないということを知った。きっともう飽きて帰ってしまったのだろう。
全く貴族様とは暇な連中だ、とばかりに踵を返す。そうして堂々と正面玄関から出て行くが、やはり人は見当たらなかった。
スザクはいつ帰ってくるだろうか。もしかするとあのままニッポンへ向かってしまったのかもしれない。勿論自分にそのことを知る術など存在していないから確認することも事実上不可能だった。
これ以上過去のことを考えてももうどうにもならないことなのだ。今までそう何度も自分に言い聞かせてきたが、スザクに知られてしまったことが予想以上にショックだったようだ。未だに残る絶望的な感情とスザクへ対する未知なる感情にルルーシュはクラリと眩暈を感じ、壁へ手を付いた。
何故だろう。隠し通せる筈が無いくらいの出来事だったのに。箝口令が敷かれている訳ではない。それならば誰かがそのことを口にすればあっという間に広がってしまうのは当然のことで、それを今まで監督生が黙っていたのはきっとここぞという時を利用する為だったのだろう。
それがこのタイミングであったのはルルーシュが彼らの予想に反してスザクと仲良くなってしまったからなのだと思う。一年間という期間を経て学校に再び姿を現した自分と、ニッポン出身の名誉ブリタニア人であるスザクは格好の標的だった――彼らが自分たち貴族の名誉と地位を高める為の。
そこまで考えると、ルルーシュはそっと溜息を吐いた。あの時、本当はスザクに行かないで欲しいと言いたかった。このまま抱きしめていて欲しいと。けれども、どの口がそんなことを言える? 自分はそんなことを望んで良い立場ではない。触れるだけの唇が優しくて温かくて心地よかった。それでもこれ以上のことを望むことなど出来なかった。
望んでしまったらきっと手放せなくなる。喪ってしまった時の哀しみはきっともう計り知れないだろう。それならば最初から望まなければ良い。もうこれが最初で最後なのだ、と自分に言い聞かせればきっと――。
――だけれども
それでも軍からの連絡で部屋を去っていくその背を追いかけたかった。軍なんか辞めてしまえと言いたかった。お前の故郷を滅ぼそうとしている国の軍なんてお前が命を掛ける価値など無いのだ、と伝えられればどれだけ良かっただろうか。
しかしその一方できっとそんなことは無駄なのだとも思う。それにスザクが決めたのならばルルーシュには止める権利など無い。スザクは軍人なのだ。そう簡単にその責務を放棄することなど出来ないし、それをしてしまえばきっとこの国で彼が生きる術が無くなってしまうのだろう。
それでも、本当はあの時引き留めて、伝えてしまいたかった――自分の気持ちを。
彼と出会った直後からかもしれないし、図書館で再会した時からかもしれない。それとも段々と共に過ごすようになってからだろうか。いつの間にかどんどんと彼に惹かれていた――好きになっていた。
しかしながら自分たちは男同士であるし、親友で、きっとこれは思い過ごしなのだと自分に何度も言い聞かせてきた。しかし先ほどスザクからされた口付けは確かに甘くて、ルルーシュが求めていた気持ちがやはりそういった友情などではなかったのだと確信してしまった。
こんな気持ちになるのは初めてで、今でもまだ思考が纏まっていない。スザクに軍に行くように口では言いながらも、頭の中では〝行くな〟と叫んでいた。
スザクを喪った時のことを考えるのが辛いならばこれ以上踏み込まれない内に手放せば良いと思った――けれども本当はこんなにも彼のことを欲している。これ程行動と思考と感情が結びつかないなんてどうかしていると思う。
――けれども……
「……スザク……好きだ……」
そっと彼の名前を、彼に対する感情を、口に出してみれば、先程まで感じていたドキドキとする胸の高鳴りを再度感じるような気がした。自分を抱きしめるスザクの胸も同じように鼓動を速めていたように思えたのはきっと気のせいではないと思う。
スザクも自分と同じ気持ちを持っていてくれていたのだろうか。きっとそうなのだと思いたい。そうでなければあんな行動に出たりはしないだろうと。
柔らかく触れ合う唇。それは決してそれ以上深まることは無かったけれども本当は求めてしまいたかった。〝もっと〟と。
そんなスザクを奪い去ってしまう軍など無ければ良いのに。国のため、皇帝の為、そんな理由で命を掛ける必要など無いのに。
ルルーシュはオンブレ寮の前までいつの間にか戻ってきていることに気が付く。考え始めると周りのことを忘れてしまいがちなのは悪い癖だ。
部屋に戻って休んでしまおう。あの部屋には情報を得るための手段が存在しないからブリタニア軍が既にニッポンに進行しているか、それとも間一髪のところで戦いは回避されたのか、それすら知ることが出来ない。
「……大丈夫だろうか……」
心配で仕方が無い。しかし今自分に出来ることはただ信じて待っていることだけだった。
玄関から寮の一階へと入り、そうして煉瓦造りの階段を一段一段上っていく。そうすれば時期に庭園へと辿り着くだろう。今は亡き母の大切にしていた庭園から移動させた花々だ。美しく咲き誇るのは当然のことだ。
最後の一段を上り、そうして色とりどりに咲いた草花を見ようと視線を上げる。
「…………え?」
しかし視界に入ってきたのはブルーグレー。制服の布地の色だった。そして目の前に現れた何人かの少年に目を塞がれ、布で口を覆われる。
「ッ、」
抵抗しようと手足をばたつかせるが、自分の力が一般的な同じ歳の男子学生よりも劣ることは知っていた。それでも何とか必死で逃げようと藻掻く。
「無駄な抵抗は止めた方が良い」
一人がルルーシュの耳元にそっと囁き掛ける。それはあの監督生の声だった。
「さぁ、さっさと奥へ」
ぐい、と後ろから背を押され、前のめりになって地面へと倒れ込む。そうすればコンクリートの硬い床が膝に当たり、その痛みに顔を顰めた。
こんなところで待ち伏せなどして一体何のつもりだというのか。訊ねようにも口は塞がれている。いつの間にか両の腕も後ろで拘束されており、身動きすらままならない。
「ッ」
ズリズリとそのまま身体を引きずられ、靴の底が擦りきれるような音を立てて擦れていく。周囲には少なくとも五人は居るのだろう。一人でどんなに抵抗したところでこの人数では太刀打ち出来ない。
「ここ数ヶ月、一年ぶりに学院へ貴方が来た時、僕はどうしたものかと思いました」
耳元で囁かれぞわり、と肌が粟立った。生理的な拒否反応に身体を縮め込む。
「今度は枢木騎士侯をたぶらかし、貴方は彼の親友という地位を手に入れたではありませんか。しかし騎士侯とはいえ所詮は名誉ブリタニア人。いずれイレヴンと呼ばれるような存在になるであろう彼に取り入って何が面白いのか。もうすぐ植民領土となるような国の人間よりも僕を選べば良かったんですよ。そうすれば貴方だって今頃ルミエールで安泰に過ごすことが出来たのでは?」
塞がれていた両目を突然解放され、入ってきた光に目をパチクリとさせる。そうすればすぐ目の前に監督生の顔が近付いた。
「ッ、」
顎を掴まれ、グッと上向かされる。ルルーシュは監督生の少年を下からギリ、と睨み付けた。
「監督生が特別だと認めた者は貴族でなくともルミエールの寮に入る権利があります。しかし貴方はそれを断った」
「っ、当然だろう!?」
ルルーシュは声を荒げた。この監督生の目的は自分と仲良く友達同士になることではない。それならばこんなにも回りくどい手を使う必要など無いだろう。
「容姿だけは人一倍綺麗なんですけれどね。知っていますか? 僕は綺麗なものが好きなのです」
綺麗な蝶を手に入れる為ならばその蝶を捕まえ、その羽に針を刺し、縫い止めても構わないのだ。
そんな風に彼はニヤリと笑みを浮かべる。
「蝶は手で軽く叩いただけでもすぐに死んでしまう。けれども貴方はどうでしょう? 本当は成績なんてそれ程問題では無かったんですけれどね。枢木スザクの前で貴方を手に入れることが出来ればそれで充分だった。その為の口実に過ぎなかったのですが……しかしどうやら先ほどの様子では彼は軍に向かってしまったようですね」
残念ですね、唯一の君の味方は此処には居ません。笑みをそのままに彼はルルーシュへと顔を近付けた。
「だ、誰がお前のものになど!」
そう、以前にもこの監督生に同じような提案を持ち出された。自分の配下に入り、自分に付き従えばルミエールの寮に住めるように手配しようと。それがルルーシュの躯目当てだったということはその後すぐに判明した。しかしその時は未遂で済んだから気には留めなかった。襲われ掛けたところをロロに発見されたのだ。だから事なきを得たけれどももうロロは居ない。そしてスザクも今は軍に行ってしまった。
「しかし、物は考えようだと思いませんか? 枢木スザクが学院に戻ってきた時、既に貴方が僕のものになっていれば……もうきっと貴方に近寄ろうなどという愚考は犯さないでしょう」
コツリ、コンクリートの床が音を鳴らす。監督生はルルーシュの頬へと指を掛けた。気持ちが悪くなりそうな程熱いその指先に、ルルーシュは首を振って抵抗する。それでもそんな抵抗を元ともしない監督生やその周りに立つ少年達。
「しっかり押さえていて下さいね。一緒に参加したい者は名乗り出なさい。許可しましょう」
何に参加するというのか。彼が何を言っているのか解らない程自分は子供ではなかった。太股の辺りを両側から固定され、地面に座ったような状態になりながらも身動き一つ取ることが許されない。
「やっ、止めろッ!」
ツウ、と首筋を指先でなぞられ、不快なのにそこへ意識を集中させてしまうような妙な感覚に囚われる。
「参加したい人は……おや、全員ですか?」
少年達は各々頷いてゆく。
「……良いでしょう。やるならば徹底的に、が僕のモットーですし」
そんな莫迦な、ルルーシュは毒づく。自分は男である。それなのに監督生だけではなく、同じ男である少年達はルルーシュのことをそういう風な目で見下ろしていた。すっかり捕食対象とされてしまったこの状況にルルーシュは何とかして逃げ出す手段を考える為に思考を巡らす。
しかし、今は夏休み。何があろうと学校側は責任を負わない。それに自分自身の状況を顧みれば譬え今が夏休みでなかったとしても学校はこの事実をもみ消すのだろう。
「う……っ」
首筋を這う指先がゆっくりと制服のボタンを外していく。足を固定する腕は次第に太股へと這い上がって来る。両側からは脇腹をなぞられ、何とも言い表し難い気持ちの悪さを助長する。
あっという間にシャツの前は肌蹴、白い肌が覗く。そうして今度は直接的にその部分を弄られる。
「おや、もう感じていらっしゃるのでしょうか? こんなにも尖らせて」
ツン、と色付く敏感な部分を指の腹で潰され、ルルーシュは背を反らせる。
「っあ!」
「もうこっちも脱がせて良いか?」
別の少年の問いかけに監督生は口端を持ち上げた。
「ええ、どうぞ」
監督生の許可が下りるとそうして腰を押さえられ、ベルトへと手を掛けられた。
「ッ! や、止めろッッ!」
今度こそじたばたと必死になって叫び声を上げるルルーシュの抵抗を抑え込もうと別の少年がルルーシュの肩を押さえ込む。そうして地面へと仰向けに倒されたルルーシュの身体は最早自分の意思では動かすことの叶わない状況へと陥っていた。
カチャリ、カチャリと制服とセットになっている校章入りの皮のベルトはいとも簡単に外され、今度はズボンの前立てへと手が掛かった。スルリとズボンは脱がされ、黒色の下着と日に焼けていない白い下肢が晒される。
「んンッ……」
同時に胸の色付いた部分を舐められ、反対側は指先で潰される。それが予想以上に鋭く感じられ、ルルーシュは耐えるように両目をぎゅっと瞑った。そうしてまた別の手が今度は下着のウエストの部分に差し込まれたことに気が付き、顔色を蒼白させる。
「いッ、厭だ、止めろッ!」
――スザクッ……
* * *
「ルルーシュ……ッ!」
耳元で聞こえた自分の名前を呼ぶ声にそっと目を開ければ、飛び込んできたのは今にも涙がこぼれ落ちそうなスザクの表情だった。自分のことを心配そうに見詰めるその表情に強張っていた身体の力が抜けるようだった。
その直後にこの場所が自室であるということに気が付く。薄暗い窓の無い部屋。充満するのはあの時の不快な臭い。それからぐしゃぐしゃになったシーツ。こんなところにスザクが居るという事実が辛かった。
それでもスザクの顔を見ただけでホッとしてしまう。彼が近くに居るだけでこんなにも安心出来るのか。一体自分はどれだけスザクに頼ってしまっているのだろう。もしかしたらもうきっとスザクなしでは生きていくことなど出来ないのかもしれない。そんな風に思ってしまう程にスザクのことを好きになっていた。
「……スザ……ク……」
それでもこの穢れた身体を見られるのは厭で必死に彼を拒絶した。監督生だけではない。多くの少年達によってルルーシュは好きなように弄ばれた。あんな大勢に敵うはずもなく、ルルーシュの身体には少年たちのものが押しつけられ、そして体内へと埋められた。
あの時の記憶はぼんやりとしたものだったが、もしかしたら女のように嬌声を上げたかもしれない。途中で訳の解らない薬を腕に注射され、混乱状態に陥っていたのだ。痛みだろうが何だろうが構わない。とにかく全ての刺激がルルーシュに快楽をもたらし、そうして更なるそれを求めた。厭らしく穢らわしい。そんな存在に成り果てた自分がスザクを求めて良い筈がない。
薄暗い部屋の片隅でスザクの腕を拒絶する。これ以上こんなにも汚れてしまった自分を見ないで欲しい、触らないで欲しい、と。しかしよく考えてみればそれよりも前にルルーシュは真っ赤な血を浴びて穢れていたのだ。そう、初めからスザクとは釣り合わない存在だった。スザクを求めてはならなかった。それなのにどうして忘れてしまっていたのだろう。自分には償いきれない罪があるのに。
徐々に感覚が鈍り、再び意識がぼんやりとしてくる。またあの薬の副作用なのだろう。混沌としてくる意識の中、ルルーシュはそっと瞼を伏せる。そうしてスザクの心配そうな表情を見詰めながらゆっくりと意識を手放した。
そうして次に目覚めた時、自分の身体は見知らぬベッドに横たえられていた。ここは何処だろうか。そんなことを考える間もなく、何者かがこちらへと近寄ってくる気配を感じた。
「……スザ……」
出した声は掠れていて上手く言葉にはならなかった。此処にいるのがスザクならば良い。そう思って視線だけを何とか動かし、人物の近寄ってくる足音のする方向へと向けた。
「……ぁ……なん……で…………?」
しかし予想に反してルルーシュの傍に居たのはスザクではなかった。
「久しいなぁ、我が息子、ルルーシュよ」
低い声が室内へと反響した。もう会うこともないだろうと思っていた父親の姿にルルーシュは目を見開く。そうしてこの場所がペンドラゴン皇宮内であることに気が付いた。それはこの部屋に見覚えがあったからだ。遠く昔、自分がまだ優しい時間しか知らなかった頃に過ごしていた場所だった。
時に厳しく、けれどもいつもはとても優しい母親。それから自分のことをお兄様、と慕ってくれる愛らしい妹たち。それからまだ幼い自分には少し難しかったチェスゲームを教えてくれた兄や姉たち。皆がこの場所を訪れ、そうして自分達家族を大切にしてくれた。それは果たして母に対しての思慕の気持ちからなのか。それとも自分の持っている血がそうさせたのか。今となっては解らない。
「お前には為さねばならぬことがあるのだろう?」
皇帝はルルーシュと同じ色の瞳をルルーシュへと向ける。そうして目を逸らすことなくじっと見詰めた。
「…………そ、れ……は」
掠れた声しか出せなかった。押し寄せる不安と恐怖。それはこの皇帝である父親に対してのものではない。過去に付随した記憶に因るものだった。考えてはならない。思い出してはいけない。ずっと記憶の奥深くに閉じ込めた筈のものが父の登場によって徐々に紐解かれていく。
「忘れたのか? ナナリーのことを。ユフィのことを」
追い打ちを掛けるような言葉にルルーシュはぎこちのない動きで首を左右に振って否定する。
「だ……、駄目だ……それは……っ」
――思い出してはいけない……ッ
過去に封印した記憶を無理矢理にこじ開けられそうになる瞬間は恐怖と絶望が交錯する。何よりもこの場所を選んだ理由もそれなのだろう。態々この場所に自分を運ぶ意味などある筈が無いのだ。その一点を除いては。
この部屋を出てすぐ突き当たりに広間へと繋がる踊り場がある。
それは記憶を少し掘り返せば簡単に思い出されてしまうことだった。それ程に親しんだ場所だったのだから。
そしてその階段には広間へ向けて真っ赤な絨毯が敷かれていた。
――駄目だ、駄目だ、思い出してはならないッ……
「厭だ……ッ」
両耳を手のひらで押さえつけるようにして拒絶する。「何故だ? お前は力を持っておる。しかしその心が弱いが為にあんなことになったのだろう?」
駄目だ、駄目だ、駄目だ。心に警鐘が鳴り響く。この紫紺を見詰めてはならないと。必死に顔を背けようとするが、額を掴んでシーツへと身体を押さえつけられる。その強い力に抵抗する術など存在していなかった。
「止め……ッ」
じわり、と涙が溢れる。母の優しい笑顔と、最期の惨たらしい姿が頭の中で甦る。真っ赤な鮮血の臭いですら鮮明に。本当はひと時たりとも忘れてはいなかった。忘れたフリをして心の奥に閉じ込めただけだった。
「お前には為さねばならぬことがある」
皇帝は先ほどの言葉をもう一度繰り返した。ルルーシュは涙に濡れた瞳で父親の顔を見詰めることしか許されなかった。
「母さん……ナナリー……ッ」
ルルーシュが二人のことを口にすると皇帝はニィ、と口元を歪める。そうして顔をルルーシュへと近付ける。
「そうだ。マリアンヌとナナリー。そしてユフィとコーネリア。憶えておるだろう? お前が奪い去った存在だ……」
「……コーネリア…………姉、上ッ」
恐怖にルルーシュの躯が戦慄く。それを押さえつけるようにして皇帝はルルーシュのを押さえる腕の力を強めた。
「お前が為さなければならない、その為にも……その弱さを棄てるが良い。そうして…………」
シャルル・ジ・ブリタニアは目を見開くルルーシュの顔を近距離で覗き込む。その瞳の色は先ほどまでとは打って変わって深紅へと変化していた。その眩い赤色に今度こそルルーシュは抵抗一つ出来なかった。もう、とっくに押さえつけられていた腕は外され、逃げようと思えばいつでも逃げ出せるような状態である筈なのに、躯は動かず、視線を逸らすことも出来なかった。物理的な意味合いではなく別の意味で囚われてしまっていた――。
「シャルル・ジ・ブリタニアが刻む……新たなる偽りの記憶を……」
それは一体何の呪文か。ルルーシュはシャルルの瞳に浮かぶ文様をじっと見詰めることしか出来ない。頭に鳴り響く警鐘音がどんどんと大きくなるのに、それでも動くことは叶わない。
「お前が名乗っていたルルーシュ・ランペルージという偽りの名を棄て去り、そうして真にルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとして生まれ変わるが良い……」
その瞬間。鳥が羽ばたくようなそんな光景が目に映ったように思えた。
「い、厭だッ、止めろッッッ――……!」
To be continued…