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False Stage3-01

GEASS LOG TOP False Stage3-01
約10,801字 / 約19分

「お兄様……愛して、ます……」

――ああ、何で……?

 何故こんなことになってしまったのだろう。このブリタニアという国は争いを止めようとはしない。どうして自分の手はこんなにも血に塗れているのだろう。そう、この両手はとうの昔から既に血塗れだった。滴る深紅の雫によってこの命は生かされ、そして……。
 ルルーシュは目の前に広がる光景を見詰めた。僅かな明かりしか灯らない薄暗い部屋にはいつものように柔らかく温かな光も、笑顔を向けてくれる愛おしい姿も存在しない。あるのは血なまぐさい死臭とそれから無残な死体と瀕死の状態で倒れ込む妹の姿だけだった。
「ナナリー……ッ、駄目だ。死んじゃ駄目だ! すぐにきっと医者が来るから!」
 涙がぽろぽろと溢れ、ぼやける視界で前が見えない。どうして? ただそれだけが何度も、何度も、頭に浮かんでは消える。ああ、自分はナナリーの兄なのにこんなにもみっともなく彼女に縋っている。痛みに耐えている彼女を励まさなければと思っているのに、もう頭の中では彼女が助からないことを知っている。
「お兄様……どう、か……お兄様だけ……で、も…………」
 途切れ途切れの言葉は一体何を意味しているのか。まだ十歳にすら満たないナナリーの躯は血塗れだった。そのすぐ横には既に息を止めた別の少女の姿が。そして自分達を茫然と見下ろす存在だけが時を止めたように動けないでいた。
 ああ、一体何故? 何で、こんな光景が目の前には広がっているのだろう。
「……ナナリーッ!」
 彼女の菫色が段々と力を失くしていくのをどうすることも出来ずに見詰めていた。瞼が痙攣し、ゆっくりと閉じられていく。何としてもそれを止めたくて必死に叫んだ。
「死ぬな、死ぬな、生きろ! ナナリーッ!」
 幾度となく繰り返すその言葉はもう無意味だと解っていたけれども。
 ルルーシュの紫紺の瞳は今、血のように真っ赤に染まっていた……。

「あ…………あぁ……、ナ……ナナリー……――うわぁぁァッッ――……」

 激しい頭痛が思い出したくない、封印していたはずの記憶を頭の中から引きずり起こす。そう、忘れようとしていたのだ。心の奥へと封じ込め、そして知らないふりをした。
 それでも本当は何一つ忘れてなどいなかった。自分を偽ろうが、何でもないフリをしようが……幾らあの時の記憶を振り払おうとしても決してこのことを忘れることなど出来なかった。

――そう、記憶を書き換えられたあの時までは

 全てを取り戻した今、一体自分はどうすれば良い?
 この血は呪われている。この瞳は呪われている。この人生は偽りだらけで、生きているといえないようなものだった。だからこそ、此処で全てを終わらせなければならないだろう――絶対に。

――だから俺は……

* * *

「……シュ……、ルルーシュ…………」
 ぼんやりとした意識が徐々にはっきりしてくる。そうして誰かが自分の名前を呼んでいることに気が付き、ようやくゆっくりと瞳を開いた。
「おはよう、ルルーシュ。やっと起きたのね、お寝坊さん」
「……母様、おはようございます」
 視界に入って来たのは優しくて強い、母だった。カーテンの隙間から洩れた朝日がきらきらと彼女の黒髪を輝かせている。マリアンヌはその細い指先をルルーシュの頬へと伸ばし、そっと撫でる。そして目を僅かに細めて微笑んだ。
「さあ、もうすぐ朝食が出来るわ。ナナリーももう目が覚めているのだから早く用意なさい。お兄ちゃんがお寝坊では示しが付かないわ」
「はい、母様」
 マリアンヌは立ち上がり、ルルーシュの横たわっているベッドから数歩離れると、その橙色のドレスを翻してふわりとルルーシュの方を振り返る。シンプルな服装が好きな筈のこの母がこれ程めかし込んでいるということは、今日は父がこの離宮を訪れるということなのだろう。
 ルルーシュはそう察して頬を緩めた。父と母が仲睦まじくしている姿を見るのは好きだった。普段なかなか逢うことの出来ない皇帝である父親、この国を統べる存在である彼がかっこよくて――ただ単純に憧れだった。そんな父親と母親が仲良くしているところを見るのは嬉しかった。
 マリアンヌの背後から二人の女中が幾つかの衣装を手にこちらへと向かってくる。そしてマリアンヌに見えるようにそれぞれ広げて見せるとマリアンヌは彼女らに次々と指示を出していく。
「そうね、ジャケットはこれ、マントはこの緋色が良いわ。タイピンはこのブルーが。後は適当なものを併せて見繕って頂戴」
 皇族らしい豪奢な衣装の数々は必要不可欠なものだった。とりわけこの国を統べる皇帝の前では。だからこそ、きちんとしたものを身につけなければならない。ルルーシュはようやく覚醒し始めた頭で思い出す。今日は父である皇帝がこの離宮で夕食を共にする日だということを。
「畏まりました、マリアンヌ様」
 ベッドから躯を起こし、そして床に立てば彼女らは自分のすぐ傍まで寄り、その内一人は背後へと回る。そうしてルルーシュの着るガウンの肩へと両手を添え、そっと背後へと布地を引っ張った。
 ルルーシュは脱がせやすいようにと両腕を軽く左右に持ち上げる。そうすればスルリと白いローブが躯を離れていく。
 しかし肌寒さを感じる前に直ぐに絹のシャツの袖に腕が通される。スル、とした肌触りの良いシャツは貝から作られたボタンで留められ、それは微かに虹色に光りを反射させる。それらもいつのまにか全てが整えられ、今度は上着の袖へと腕を通す。黒地のそれは裏打ちが赤く、マントのデザインとよく馴染んでいた。
 同じく黒地のズボンに脚を通し、タイを結び、マントを羽織り、ブーツを穿く。そして最後にマントを留める豪奢な宝石の輝くブローチを付ければ正装が整う。皇族がラフな格好で居られるのは自身の寝室くらいだろう。それ以外はいつでもしっかりと着込み、周りの目を気にしていなければならないのだ。
「ルルーシュ様、ナナリー様がお見えです」
「ああ、通してくれ」
 ナナリーの来訪を外から入ってきた女中に告げられ、ルルーシュは首を縦に振った。最愛の妹、ナナリーを拒む理由など何一つなかったから。
「お兄様!」
 天使のような愛くるしい微笑みを浮かべ、ナナリーはルルーシュの元へと駆け寄る。そんな彼女に両腕回し、ふわりとその身を抱きしめる。
「おはよう、ナナリー」
「おはようございます。お兄様」
「昨日は……お兄様がお帰りになる前に眠ってしまって……。どうしてもお兄様をお迎えしたかったのに!」
 そう、昨夜は帰宅するのが随分と遅くなってしまった。夜中の十一時に六歳のナナリーが起きて待っているのは難しいことだ。それに妹に夜更かしをさせてしまうのは兄としても良くないことだと思う。それでも昨日は帰ってくるのが遅くなってしまった。次兄に付き、この国の政治や制度を学ぶことは皇族として必要不可欠なことだった。
「気持ちだけで充分だよ、ナナリー。ありがとう」
 微笑めばナナリーも同じように笑みを返す。ナナリーの纏うふわりとしたドレスのチュールがルルーシュの指先に絡みついた。
 母とは異なり、可愛らしい服装を好むナナリーの趣味はきっと異母姉であるユーフェミアに影響されたのだろう。彼女は姉であるコーネリアと共に有力な皇族として名を馳せている。
「今日も綺麗だよ、ナナリー。これはクロヴィス兄さんのデザインだね」
 ナナリーが纏っている薄紅色のドレスがクロヴィスのデザインであるということに気が付いたルルーシュは口許を綻ばせる。政治もチェスもルルーシュには勝つことの出来ない第三皇子クロヴィスはこういった能力に長けていた。
 優雅にしっとりと流れるドレープが大人っぽくなりすぎないのは腰からふんわりと可憐に覆うチュールレースがその愛らしさを表現しているからで――つまりはナナリーにぴったりだった。
「はい! この間お兄様がお出かけしている間に新調していただいたんです!」
 ニコニコと笑むナナリーにルルーシュは皇帝との夕食を控え緊張していた心が解れていくのを感じていた。
「そうだったんだね。本当に良く似合っているよ。さあ、朝食に行こうか」
「はい、お兄様」
 優しく包み込むような暖かさと、そして穏やかな平穏。それは望むことなく手の中にあった夢の時間だった。これが当たり前だった。そう、八年前までは。それなのにどうしてだろうか、この平穏は瞬時に色を変え、そしてバラバラと音を立てて崩れ去る。
 そう、既にこの時には確実にその影が忍び寄っていた。そのことに気が付くこともなく、そしていつまでも永遠に続くと思っていたこの時間が潰えてしまうこともまた知る由もなかった。一体誰がこの先に待つ未来を想像していたというのだろう。もしあんなことになるのなら、きっとすぐにでも二人を連れて皇宮という名の鳥籠から抜け出していただろう。
 朝食を終えると、アリエス宮に一人の客人が訪れた。それは皇帝ではない。もっと小さなお客様だった。
「ルルーシュ、ナナリー、マリアンヌ様。ご機嫌よう」
「久しぶりだね、ユフィ」
 一週間ぶりに異母妹ユーフェミアがアリエス宮を訪れた。彼女がこの宮殿を訪れることは珍しくないが、自分達ヴィ家以外の皇族がアリエスにやってくることは余り無いことだ。
 マリアンヌのような庶民上がりの后妃と仲良くしようなどという后妃は殆どいないといっても過言ではない。ユーフェミアの母もその例外ではなかった。しかし、ユーフェミアの姉、コーネリアはそうではなくマリアンヌに確かな憧れを抱いていた。そして彼女と共にユーフェミアもヴィ家を良く足を運んでいた。
 マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。彼女は后妃である以前は軍人だった。后妃となる前はナイト・オブ・シックスとして戦場に立ち、その身を挺して皇帝を護ってきた。彼女の残した数々の武勲は彼女の後輩軍人達にとって憧れであり、そして目標だった。軍人を志すコーネリアもその中の一人でマリアンヌに強い憧憬を抱いていた。
 マリアンヌを疎んでいるのはそういった彼女才能を妬んでいる貴族上がりの后妃たちだけだ。逆に庶民はといえば実力さえあれば彼女のように成功することが出来るのだと心付けられていたことだろう。
 しかし当のマリアンヌ本人は周囲からの評価を一切気にすることなく自分の思った通りに生きる人だった。そんな彼女だからこそ、コーネリアやユーフェミアを快く出迎えるのだ。
「あーら、ユフィ。いらっしゃい」
 マリアンヌは少し腰を屈ませてユーフェミアと目線の高さを合わせると、よく来たわね、と笑みを浮かべた。
 エントランスホールの天井は高く、取り付けられた天窓からは優しい光が降り注ぐ。大理石の床は歩くとコツコツと音を響かせ、ユーフェミアへと駆け寄ったナナリーの足音が軽快に鳴り響いた。
「ユフィ姉様、聞いて! 今日はお父様が来て下さるの!」
 ナナリーもニコニコとユーフェミアに夕食会のことを説明した。シャルル・ジ・ブリタニアが后妃の離宮を訪れることはそう多くない。自分から出向かずとも相手を呼び出せば良い立場だからだ。それでもこうしてヴィ家に彼が自ら足を運ぶのはそれだけヴィ家が大切にされているからだ。
「まぁ、お父様がいらっしゃるのね! だからこんなに可愛いドレスを?」
「まぁそういうことなんだ。ユフィ。でも未だ父上が来るまでには時間があるからお茶でもどうかな?」
 ルルーシュはユーフェミアの手を取って中庭へと案内する。反対側の手には勿論ナナリーの手が重ねられていた。
 マリアンヌはそんな子供達の様子を見守りながらメイドに簡単なお茶の準備をさせる。
「ユフィ、最近のコーネリアはどう? 少し忙しかったからコーネリアとの手合わせが減ってしまって」
「お姉さまは元気です。でも、やっぱりマリアンヌ様にもっと稽古を付けて欲しいと……」
 コーネリアはマリアンヌに憧れていた。ルルーシュとナナリーの母であるマリアンヌは〝閃光〟と呼ばれ、帝国最強の騎士団〝ナイト・オブ・ラウンズ〟に席を設けていた。そしてその手腕や美貌を皇帝に認められ、后妃になるまでに至ったのだった。そして今では后妃でありながら士官学校に通うコーネリア達に時折稽古を付けていた。
 本来ならば后妃がKMFに乗ることなど周りが許さないだろうが、マリアンヌだけは違った。元ナイト・オブ・シックスの彼女を押さえ込めるような強さを持つ護衛など存在しないのだ。
「そう、この間はちょっと調子が悪そうだったから心配していたのよね。でもそれなら今度また、と後で伝えておいてね」
「はい、マリアンヌ様」
 ドレスの裾をふわりと翻し、ユーフェミアはルルーシュとナナリーの待つ庭の方へと駆けていく。
 穏やかな平穏の時、忍び寄る影は静かに、そして急速に、差し迫っていた。音を立てることもなく近付いて来たそれに気が付く者は誰もいない。閃光と呼ばれたマリアンヌでさえ。
 永遠の幸せなどお伽噺の中だけの夢物語だと知っていた筈なのに。めでたし、と終わる人生など決して有り得ることではないと解っていた筈なのに。どうしてこんな悲劇が起こりえる? もっと自分に考えがあれば、もっと自分に真実を見通す力があればきっとこんな風にはならなかっただろう。それでももう、手遅れだった。全てが遅かった。
「ルルーシュ、遊びましょう」
 異母妹の優しい声。それは誰に対しても平等で、自分とは違っていた。まるで天使のような愛らしい微笑みを惜しみなく振りまいて、愛される為に生きているような存在だった。ルルーシュも例に漏れず彼女のことが大好きだった。
「うん、ユフィ。僕達と遊ぼう」
 ルルーシュはユーフェミアの白く小さな手を取った。この無邪気な妹達を愛おしく思いながら。

「陛下、いらっしゃい」
 マリアンヌは皇帝へと駆け寄る。それはダンスを踊るように軽やかな動きだった。皇帝であるシャルル・ジ・ブリタニアはそんな彼女の姿をふわりと抱き留め、彼女の耳元に囁き掛ける。きっと愛する妻に向けて愛の言葉でも囁いたのだろう。ルルーシュはそう思った。
 アリエス離宮の玄関ホールはとても広い。ダンスパーティーを開いても支障はないくらいに煌びやかな空間だった。それでも皇帝の住む本宮殿に比べたら幾分小さなものだったが、それはきっと些細な差に過ぎないことだろう。
 きらきらと星が瞬くように輝くシャンデリアが皇帝とマリアンヌ、ルルーシュとナナリーを照らし出す。護衛は居なかった。勿論ひとたび外へと繋がる扉を開けば皇帝の騎士や護衛たちが息を潜めていることを知ることになるだろうが、少なくとも今この場所は家族の団欒の場となっていた。
「遂に……準備が整ったのね?」
「ああ、お前には済まないが何れはきっと……」
「良いのよ。シャルル……これは私のたっての希望なの。私たちの理想を実現する為ならば犠牲は厭わないわ」
 二人は抱き合いながらそう静かに言葉を交わした。ルルーシュはその様子をナナリーとユーフェミアと共に影から見守っていた。こうして仲睦まじげな父と母を見る度に自分達は父親に愛されているのだと自覚する。それは他の后妃たちがどのように彼に扱われているか知っているからこそのことだ。ヴィ家やリ家のように子供を作ることが叶った家は絶対的なその地位が保障される。しかしそうでなかった后妃はお飾りに過ぎず、ゆくゆくは切り棄てられる存在だった。百八人にも及ぶ后妃らのうち寵愛されているのはほんのごく一部。下手をすれば皇帝と一度しか顔を合わせたことのないような后妃さえ存在しているのだ。そう、婚姻を結ぶ儀式でのたった一度の邂逅……。
 だからこそ、愛されているのだと思っていた。きっとこのまま幸せな時が続くと信じていた。譬えそれが未来永劫などでなくとも。
「少なくとも何れ自由になれるわ」
「ああ、そうだな」
 二人はうっとりと見詰め合う。それから暫くして皇帝はチラとこちらへと視線を移した。柱影に潜んでいた三人の姿に気が付いたようでもう一度マリアンヌの方を一瞥してからずっしりとした足取りでこちらへと向かってきた。
「ルルーシュ、ナナリー、それにユーフェミアよ。今日は三人で遊んでいたのか?」
 大きな背を屈ませ、三人を見下ろす。その向こう側には微笑むマリアンヌの姿が見えた。
「はい、父上」
 ルルーシュが頷くと皇帝は薄く笑みを零し、口を開く。
「仲が良いのは良いことだ。ユーフェミアもコーネリアとは歳が離れているからな。歳の近い二人と遊んだ方が楽しいだろう」
「お姉様は士官学校が楽しいみたいなんです」
「ふむ、何れ儂の腕となって軍を動かすようになるだろう。それにしてもコーネリアももう少しお前に構う時間があると良いのだがな」
 皇帝はユーフェミアの頭を撫でながら近付いて来たマリアンヌへと視線を向ける。
「あら、それならこのアリエスの庭でコゥと稽古を付けましょうか。ユフィも見に来ると良いわ」
 彼女の提案に皇帝もユーフェミアも満足そうに頷いた。
「それが良かろう」
「お母様がお庭でガニメデを?」
 ナナリーはマリアンヌの提案にわくわくとした気持ちを隠すことなくきらきらと目を輝かせた。彼女はマリアンヌがガニメデを操る姿に憧れていたから母と異母姉との対戦はどんな模擬戦よりも心をときめかせるものだったのだろう。ルルーシュはそんな彼女らの様子を静かに見守っていた。この家では男よりも女の方が活発だった。
「そうよ。特別に準備させましょう」
 二人の喜ぶ声が広間に響く。この幸せなひと時が優しい時間を崩すメロディを奏でる為の序曲であったというのに。
 リズミカルに刻まれていたメロディが音を立てて崩れ去る。不協和音を奏で始めるまでにそれ程時間は必要無かった。そう、〝その時〟はすぐ傍まで差し迫っていた。
「さぁ、ユフィ。もう暗くなってしまうからそろそろお家に戻った方が良いわ。お母様もコーネリアもきっと心配するでしょう」
「はい、マリアンヌ様。お父様、ご機嫌よう。ルルーシュ、ナナリーまたね」
 ユーフェミアはペコリとお辞儀をして玄関口へと去っていく。途中でこちらへと振り返りニコリと微笑みを向けられ、こちらも笑みを返す。
 笑顔で去るユーフェミア。その後ろ姿を目で追いかけながらルルーシュは父母揃っての久々の会食に緊張するのを感じていた。
「夕食までまだ時間がある。お前達は部屋に戻っていなさい。儂はマリアンヌに話がある」
「はい、お父様」
「解りました。行こう、ナナリー」
 ルルーシュがナナリーの手を引くと彼女は大きく頷いた。父母の大切な話を邪魔してはならないから、と足早にその場を去る。
 父も母もいつも難しい話を良くしている。政治のことも将来に備えて勉強してはいるものの彼らの話はどうにも理解出来ない。何の話をしているのか質問すると、曖昧にはぐらかされてしまう。未だお前には難しいことなのだ、と。
 結局最後まで何について話していたのかは解らなかったが、きっとあの頃はEU進軍を決めた頃だったからその案件についてだったのだと思う。マリアンヌのガニメデを操る腕は確かに優れたものだったが、彼女には戦略があった。優れた戦術に優れた戦略が加わればそれ以上のものはない。彼女は天賦の才能に恵まれていたのだ。
「ねぇ、お兄様。お母様のガニメデ楽しみですね!」
 廊下を歩きながらナナリーは大きな身振りでその嬉しさを表現する。ナナリーは活発で外で走り回るような遊びを好んでいた。本を読むのが好きなルルーシュは度々引っ張り出され、彼女の遊びに付き合わされた。しかしそれは決して厭なことではない。外で遊ぶことが大切なことだということは理解していたから。
「そうだね。ナナリーもガニメデに乗りたいのかい?」
「はい、いつかお母様みたいな騎士に」
 きらきらと目を輝かせながらナナリーは告げた。いつでも憧れである母マリアンヌの血を受け継いでいるのはきっと自分ではなくナナリーの方なのだろう。活発な少女は元気に駆け回る。
 皇族でも軍人になることは可能だ。身近な例ではコーネリアがそれを示している。それに自らKMFに乗らずともシュナイゼルのように本部指令官として戦場から離れたところから戦線把握を取るというやり方も存在する。
 ルルーシュはどちらかと言わずとも後者のタイプだ。それを理解しているからこそシュナイゼルに付き従い政治から軍事に至るあらゆることを学んでいた。それだけではない。古今東西の幅広いカテゴリーの本を読むことによって更なる知識を養っていた。実戦で学ぶことも大切だが、理論を重んじるのはただ単にそれが自分に向いている方法だと判断したからである。
「僕は此処で本を読んでいるから」
「わかりました。お兄様」
 夕食の時間は三十分後だ。ルルーシュはナナリーにそう告げると書棚から一冊の本を取り出した。
 深緑のベルベッドの装丁にタイトルである《La Divina Commedia》と金色の泊が押されている。中を開ければ同じように本文はイタリア語で綴られていた。わざわざイタリア語で書かれている本を読むのは勿論それが必要なことだからだ。
 EU侵攻を控えた今、ヨーロッパ諸国の言語を学ぶことは非常に重要なことだった。既に日常で使用する程度のレベルでは習得していたが、定期的に様々な国の言語を使用することによってそのレベルを保つ必要があるのは当然のことだろう。
「……最大の罪は〝裏切り〟か」
 ルルーシュは独り、呟きながら日に焼けたページを捲った。虫食いや年月の経過でボロボロになったそれはその本が現在では稀少なものであるということを表している。随分と昔に書かれた本だったが、今でも多くの人に読まれている古典名作。
 この話は三編に分かれておりその最初の章である地獄編では〝裏切り〟の罪が最も重大な罪とされている。
 いつの世も裏切りはある。古代ローマではブルートゥスとカッシウスがカエサルを裏切り、イェルサレムではユダがキリストを裏切った。そしてこの国に深く根付いているアーサー王物語でアーサーはランスロットに裏切られた。
 最も信頼をおく存在に裏切られたらどんな気分なのだろう。物語の中の王は大抵近しい人物からの裏切りに遭う。物語の中だけでもそうなのだから現実である自分達は更に酷いものだ。この皇宮内で暮らす自身達に貴族らは取り入り、利用しようと画策してくる――そう、〝裏切り〟は身近な存在だった。
「お兄様、すっごく難しそうなお顔」
 数ページをパラパラと目で流しながら読んでいくと、不意に妹の声が正面から聞こえた。ハッとしてルルーシュは目を上げる。ナナリーの顔を下から見上げれば彼女はルルーシュを心配するように眉を下げた。
「うん、難しい本を読んでいるからね」
 これは児童書などではない。神学者や宗教学者、文学者などが今でも研究を続けているような本だ。そんな本を絵本を読むのと同感覚で読むのは無理というものだろう。
「私にはまだまだ難しいみたいですね」
 ルルーシュの開いていたページをチラと一瞥したナナリーは肩を竦めた。
「僕だってまだ理解出来ないことばかりだよ。でも焦る必要はないさ」
 そう、そんな風に妹に言いながら本当は焦っていた。この時は齢十を数えたらすぐに他の兄や姉と同じように表舞台に立つのだと思っていたのだから。そしてもうゆっくりと本を読む暇すら取れないと思っていたからこそ尚のこと焦っていた。
 けれどもその展望は間違っていた。自分は政治に関わるどころか実際のところはコルチェスター学院の寮で本を読み、そして怠惰な生活を送り続けていた。時間だけは充分にあった。この三編にも及ぶ〝神曲〟でさえ何回も読み返すことになるくらいには。でも、この時はそんな風になるとは思いもしなかったのだ。
「お兄様、そろそろ行きましょう。お父様とお母様より早く行かなくちゃ!」
 お待たせしてしまっては大変でしょう? とそう急かすナナリーと共に階段を下り、ダイニングルームへと足を運ぶ。
 豪奢な装飾に飾られた食堂に入ると既に長テーブルの上には折りたたまれたナプキンの乗った皿や数種類のワイングラス、フォークやスプーン、ナイフが並べられ、会食の準備がなされていた。向かい合う皇帝と后妃の席の側面にそれぞれルルーシュとナナリーが向かい合って座る。それぞれの距離は随分と離れていたが、これがこの皇宮での晩餐会のルールだった。
 二人はそれぞれ席の前で、皇帝とマリアンヌが入ってくるのを待った。
「お父様、お母様」
 二人が入ってくると、ルルーシュもナナリーもパッと顔を上げた。メイド達が左右に控える中、皇帝が席へと腰掛ける。すると三人もそれに倣って椅子へと腰掛けた。それからすぐにメイドらは彼らの背後に立ち、用意されていたグラスへと水を注いだ。
「陛下、このアリエスへおいで下さり大変光栄です。どうかおくつろぎ下さい」
 マリアンヌは皇帝に対して形式的な挨拶をすると、皇帝は目を窄めた。
「ああ、マリアンヌよ、そんな堅苦しい挨拶はお前には似合わぬ。楽にせよ」
「あら、たまには后妃らしく振る舞ってみたのだけれど」
 マリアンヌは肩を竦めて笑みを零す。勿論臣下の前であれば形式に則るのが礼儀だが、此処はプライベートの空間。アリエス宮で暮らすメイド達は彼女の言動には慣れていたので無闇に他言することは無いだろう。
「お前は他の女達とは違う。解っておるだろう?」
 シャルル・ジ・ブリタニアにとってマリアンヌは特別だった。彼女は他の百七人の后妃とは違い、唯一の庶民出の后妃だった。それはつまり彼女が后妃になるにあたって皇帝が彼女に対して求めたのは財力や家名などではないということだ。
 マリアンヌは皇帝へとその美しいアメジストを思わせるような眸を向ける。ロイヤルパープルと呼ばれるそれは彼女の妖艶さを際立たせる。
「シャルル、シュナイゼルからルルーシュの様子は聞いているのかしら?」
「ああ、奴も驚いていたぞ。この歳で随分と勉強熱心だと」
 未だ齢十にも満たない少年が宰相に付き、政治や経済、果てや軍事までを学ぶ様子は傍から見れば驚くべきことだった。
「ええ、ルルーシュはとっても勉強熱心よ。ナナリーと違って運動は余り得意ではないみたいだけれど……」
 それは仕方のないことだった。運動することに関心が持てなかったということもあるし、それよりも読書やチェスが好きだったのだから。
「その辺りはもしや儂に似たか? だが、少しは鍛えなければなるまい。なぁルルーシュよ」
「……はい……父上」
 ガハハ、と笑みを零す皇帝にルルーシュは苦い表情を浮かべながら頷いた。

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