背徳の花06
「すまない……何だか、その、いろいろと……」
ルルーシュは侍女達全員に一時的な暇をやったらしく、彼が自ら用意した濡れタオルで身体を拭ってくれていた。侍女に事後の処理をされるのも厭だが、未だ余り動くことが出来ない以上ルルーシュに任せる他方法は無かった。
「僕こそ……何だか……何て言えばいいのか……」
「……お前は何も気にしなくて良い。俺がしたくてしたことなんだ。昔のこと、お前はもう忘れてしまっていると思うし……拘っていたのは俺だけだったということは解っているんだ……それでも……」
ルルーシュはスザクの身体を拭き終えると、新品のシャツを取り出す。
「シャツは着られますので」
「そうか」
ルルーシュはスザクへとシャツを手渡した。
「……昔の記憶が……凄く曖昧というか……ぼんやりしていることがあったんです……よくよく考えてみれば全部殿下に関することばかり……」
そう、全てルルーシュに関わることばかりがはっきりと思い出せない状態だった。以前ルルーシュの騎士であった時のことが本当にはっきりしないのだ。今までは何となく忘れてしまっただけだろうと思っていた。けれどもはっきりと自覚してみるとこれは明らかに異常な状態としか思えなかった。
「なん……だと……? 記憶が……?」
その言葉にルルーシュは驚いたようにこちらを見詰める。
「そうなんです……事実を言われても思い出せないことが多くて……」
スザクが言い掛けたその時、突然と部屋の扉が開く。二人は驚いたようにドアへと視線を移す。
「それはギアス……だな」
その声はルルーシュのものでもスザクのものでもなかった。そう、学園長のC.C.の姿がそこにはあった。
「……C.C.、いつも勝手に部屋に入ってくるなと言っているだろう?」
ルルーシュが少し低い声で彼女を牽制する。学園長に対する態度には到底見えなかったが、いつもということは彼女が突然訪れるのは良くあることだというのだろうか。
「フン、良いだろう? お前と私の仲じゃないか」
C.C.はニヤリとその金色の目を細める。
「ッ、冗談は止せ。スザクに可笑しな誤解をされたら困るだろう?」
彼女はわざとやっているのだ。ルルーシュを困らせようと手球に取っている。焦るような姿の彼にスザクは驚いてしまう。学園では全くそんな姿を見せたことがないルルーシュがC.C.に見せる表情にスザクはC.C.に嫉妬心を抱いてしまいそうになる。僅かに眉を止せたスザクに気付いたC.C.は面白そうに口を開く。
「全く……そんなに枢木スザクが好きか」
「悪いか?」
ルルーシュからの返事はそれを肯定するもので、スザクはドキリと胸が高鳴ったのを感じていた。しかし、何とかそれを隠し、そうして先程の言葉に対する疑問を投げかける。
「……あの……ギアスって……あの宝石のことですか?」
「いや、違うな。間違っているぞ、枢木スザク。ギアスはギアスでもそのギアスのことではないんだ」
ギアスというのはこの学園で生徒が優秀な成績を修めたりすると貰える紫色の宝石のことを表しているが、此処で彼女が云ったギアスというのはそれとは別のものらしい。
「……じゃあ一体……」
訊ねれば、C.C.は説明し始める。
「ギアスというのは王の力……」
「王の……力……?」
「皇帝が持っている《記憶を書き換えるギアス》枢木スザク、お前にはそれが掛けられている」
「……記憶を……書き換えた? 皇帝が、スザクの?」
ルルーシュは目を瞠り、スザクも驚きを隠せなかった。記憶を書き換えるなどといったそんな非現実的な力が果たして存在するというのだろうか。まるで幻想小説の中の話のようで、現実味がなかった。
しかし、記憶を書換えられたと云われて、どこか納得してしまう自分がいたのも事実で、何ともいえない不思議な感覚に見舞われていた。
「そうだ。ルルーシュ、お前から遠ざける為にな。私もその件に関しては無関心でいようと思っていたが……お前が決闘を仕掛ける程、こいつのことを好きだったのなら……まぁマリアンヌにお前のことは頼まれていたし、手助けしてやる気になったというわけだ。ピザ五枚分でな」
この件に対しての対価はピザ五枚分なのだという。
「……お前、母さんと……知り合いだったのか……?」
ルルーシュは思ってもみなかった事実に困惑しているようだった。彼の死んだ母親と、彼より幼く見えるこの少女が知り合いだったということになる。そう、辻褄が合わなかった。この間、薔薇園で話を聴いた時は何となく納得してしまったが、やはりおかしい。C.C.はどう考えても少女にしか見えない姿をしているのだから。
「……ユーフェミアが見つかったからな……状況は変わった。全てを話す時が来たようだな……。マリアンヌのこと、そしてお前の父親のことも……」
C.C.の言葉にルルーシュは声を上げる。ルルーシュはその件に関して何も知らなかったらしい。
「……父が誰だかお前は知っていたのか?」
そして核心的な質問を投げかける。それは死んだマリアンヌ以外誰も知らないと思っていたことだった。
「ああ……知っていたよ……。だが、マリアンヌの意思によって言うことが出来なかった。マリアンヌはお前のことを護りたかったんだ」
父親を隠すことがルルーシュを護ることに繋がるとは一体どういうことか。検討が付かなかった。ルルーシュの額に一筋の汗が伝う。彼は静かに息を呑んだ。
「私がそもそもこの学園の学園長として過ごしてきたのはルルーシュ、お前を無事に生かし、見守る為だった。マリアンヌに託されたんだよ、お前のことを……。そう、全ては十八年前に……」
マリアンヌは庶民の立場から軍属となり、ついにはナイト・オブ・ラウンズに入る程の実力を持った女性だった。美しく、そして強さも両立させる彼女に憧れる者は多かったが、それを妬む者もまた多かった。
彼女は強さだけではなく、凛とした美しさを持っており、一輪の花のような儚さも兼ね備えていた。ウエーブの掛かった黒髪に、美しい紫紺の瞳。白く滑らかな肌に細長い手足。誰もが憧れる美しさとナイト・オブ・シックスとして戦場で戦う姿は正に閃光だった。
彼女は軍人ということもあり、周囲には男が多く存在していた。彼女に憧れる軍人も多かったが、勿論一介の軍人が彼女に手出しすることなど出来るものではなかった。
そして彼女はナイト・オブ・ラウンズという立場上、華やかな場面に出ることも多かった。多くの男を魅了し、彼女自身が思っている以上に彼女に焦がれる男性は多かった。
美しい彼女に周囲の男たちが大勢言い寄るのは自然なことだった。しかし、それを良く思わない人物が一人……それがブリタニア皇帝であるシャルル・ジ・ブリタニアだった。当時既に后妃を娶っていたシャルルは后妃に隠れてマリアンヌへと何度も会いに行った。
始めはお茶を楽しむだけで、マリアンヌも彼の騎士である訳だから彼からの誘いを断ることもなかった。しかし、彼はいつしか遂にマリアンヌへの想いを告げた。そしてマリアンヌはそれを丁重に断った。
何故ならばそれは禁じられていたことだったから。皇帝は一人しか后妃を持てないし、主と騎士との恋愛はご法度だった。既にコーネリアと結婚していた皇帝の気持ちを受け入れるということはそれは皇帝の愛人となることに同意したことになってしまう。
それでも皇帝は強く美しいマリアンヌのことを忘れられずに何度も、何度も、ひと目を忍んでナイト・オブ・ラウンズに与えられた宮殿、ベリアル宮に住まうマリアンヌへと会いに行った。
マリアンヌは何度も何度も皇帝の想いを否定して断り続けてきたが、ある時遂に根負けしてしまい、皇帝へと身体を許してしまった。
その後、罪悪感からかすぐにそれまで付き合いのあった別の男と結婚してしまった。これ以上関係を続ければ破滅すると思ったのだ。結婚さえしてしまえば皇帝はもう手出しも出来ないとそう彼女は考えたのだ。
「しかしマリアンヌはこの時既に妊娠していたことに気が付いていなかった。腹の中にいたのはそう、ルルーシュ……お前だよ」
C.C.の話が本当であるというのならば、マリアンヌは后妃になる前に皇帝と関係を持ち、そして妊娠したということになる。それはつまり……。
「そんな……じゃあ俺は……」
「お前は正真正銘シャルルの息子だ。そう、これはシャルル自身も知らない事実。マリアンヌはシャルルに隠していたんだ。お前がシャルルの実の子供だとな」
ルルーシュの父親が皇帝で母親が后妃であったマリアンヌだということはつまり彼が本当は正真正銘の皇子であるということを表している。母親が后妃になる前に産んだ子供であろうと、父親が皇帝で母親が后妃ならば産まれた時期は問題にはならない筈だ。
「何故……マリアンヌ様はそんなことを……?」
スザクは不思議に思った。自分の息子が皇子であれば将来の地位はほぼ保証される。加えてマリアンヌは皇帝に溺愛されていたのだからその扱いはコーネリアとは違ったものになっただろう。それなのに。
「マリアンヌが結婚して一年もしないうちに夫をシャルルの命令で殺されたからだ」
「え……?」
マリアンヌの結婚相手は彼女よりも位が低い軍人だった。しかし、彼女は彼のことを愛していた。だから、それによってナイト・オブ・ラウンズの地位を喪ってしまっても仕方がないと思っていた。それなのに、皇帝はその男を殺してしまったのだという。
「シャルルはマリアンヌを愛するあまりそうしたんだ。そしてシャルルは自分の妻も暗殺させようとした。信仰心の厚いキリスト教徒であるコーネリアは離婚に応じないと思ったから。そして暗殺しようという動きに気付いたコーネリアはシャルルの元から離れた」
恐るべく真実が次々と明らかになっていく。皇帝に人生を狂わされたのはルルーシュだけでなく、ユーフェミアも同じだった。コーネリアを暗殺しようとしたのは彼女を妬む者などではなく、皇帝自身がコーネリアの暗殺を指示したのだ。
確かに話を聴いてみればおかしいのは明らかだった。そもそも皇宮はブリタニアの中で危険な場所ではあるが、厳重な警備をかいくぐり、暗殺することは簡単なことではない。しかし、皇帝自身が命じたとなれば話は別だ。
「そしてコーネリアは死亡扱いとなり、シャルルはマリアンヌに正式に求婚した。皇帝からの求婚を逃れられる者などいないだろう」
「そん……な、母さんは」
皇帝と愛し合って結婚したのだと思っていたと彼は零す。
「年々マリアンヌに似てくるお前を見て、シャルルは自らの過ちに苦しめられた。そして、お前を皇宮から遠ざけた。そしてお前をコントロールしようとお前の騎士だったスザクを遠ざけ、新たな騎士をあてがった」
全てが、皇帝によって仕組まれたことだったというのだろうか。何処までも自分勝手で残忍な行動にスザクの表情は険しくなる。
「そして残念なことにシャルルにギアスを与えたのはこの私だ。だからこの件に関しては私にも責任があるんだ。だからこれ以上お前達を苦しめたくなかったんだ。枢木スザク、お前が望むならば記憶の封印を解こう……」
彼女であれば自分の記憶を取り戻せるというのだろうか。にわかには信じがたかったが、もし取り戻せるのならば全てを取り戻したいと思う。
「C.C.……お前は一体何者なんだ……?」
人に特別な能力を与えたり、記憶を操作したり出来るなど、普通の人間の成せる技ではないだろう。彼女が一体何者であるのか検討も付かなかった。一見すれば普通の少女に見えるのだから。
「私はC.C.それ以上でもそれ以下でもない……ただの魔女さ……」
「魔女……?」
彼女は自分を魔女だと名乗った。その表情は何ともいえないくらい哀しみに満ちており、苦しげに笑む姿に胸が痛くなる。どうして彼女はそんなにも哀しみを抱えているのだろう。
「……記憶を書き換えるなんて本当に出来るのか?」
ルルーシュは未だに信じられないとばかりに疑っていた。確かに他人の記憶を操作することが出来るなんて嘘のようにしか思えなかった。しかし、これ程までに自分の記憶に信じられない部分があると、記憶を操作されたと考えるだけで全てが納得出来てしまうのだ。自分自身が信じられないと思ってしまえるくらいに記憶が曖昧だということを既にはっきりと自覚していた。
「出来るとも。王の力をもってすれば……」
黄金の瞳がルルーシュを映し出す。少女のような姿なのに、その表情は少女の持つものではなかった。
「今の話が本当であるなら、僕は知りたい。皇帝陛下が僕に何をし、何があったのか……知る権利はあるだろう?」
スザクの言葉にC.C.は笑みを浮かべた。そしてゆっくりとスザクの方へと歩んでいく。彼女の纏う漆黒のワンピースの裾が揺れる。気が付けば彼女はスザクの目の前まで近付いていた。そして、彼女はスザクの頬へと手を伸ばす。
「……っ……!」
ゆっくりと触れるだけの口吻だった。しかし、たったそれだけのことで失くしてしまった筈の記憶が頭の中へと流れこんでくる。
* * *
――四年前
軍に入ったのは生きていく為だった。身体を動かすのは嫌いではないし、運動神経には恵まれていた。幼い頃は剣道もやっていたし、軍人という職業は自分に向いていると思った。
人質同然で日本からブリタニアに送られ、それこそ始めは日本からの支援もあった。しかし、日本とブリタニアの関係が悪化すると、それは途絶え、暫くしない内に日本はエリア11と名前を変え、自分は名誉ブリタニア人となった。
そんな名誉ブリタニア人の子供が一人で生きていく為には住む場所や食事、その他の最低限の生活を送ることの出来る環境が必要だった。軍に入ればそれらが全て満たされたし、確かに軍人という職業には危険が伴っていたが、それでも何とかやってこられた。
だから、自分は一生軍人としてこの国に尽くすことになるのだろう、そう思っていた。
ある時参加した軍の剣技大会。それによって剣士として軍から選出され、騎士となることが出来たのだ。名誉ブリタニア人は下級兵として扱われるのが通常だったから、スザクが騎士として戦場に立つことが出来るということ自体が異例中の異例だった。そして派遣された先で敵を次々と倒し、エリアの拡大に貢献したことにより、准尉という立場までになることが出来た。
そしてたまたまスザクが任された准尉としての任務が重要人物の護衛だったのだ。重要な人物であるとされる人を迎えに行く為、アリエス宮へと足を踏み入れることとなる。
真っ白な門に長く続く白い回廊。回廊からは美しい花々が咲く庭を見ることが出来た。宮殿自体も大理石で出来ており、まさに白亜の離宮と呼ばれることも頷ける場所だった。足元に敷かれた赤い絨毯だけが、この城の中では最も色鮮やかだった。
「……失礼します」
踏み込んだ離宮内に人気は無かった。普通ならば使用人が出てくる筈なのに、その気配は見えない。まるで自分だけが異質なのだろうかと思わせられるようなそんな感覚に少し不安に思いながらも足を進めた。
このままこの場に立っていても時間だけが経過するような気がしたのだ。この離宮の主を探し出し、そうして目的地に同行することが自分に任じられた役目だし、それが出来なければ無能以外の何者でもない。要人の護衛は軍人の基本的任務の一つだし、それが出来ないようであれば騎士の資格もなくなってしまうかもしれない。
物音一つしない静けさの中に、スザクの足音だけが響く。玄関ホールから大階段を上り、踊り場へと抜ける。恐らく最上階にこの城の主の部屋があるのではないか、と思ったのだ。
もう一階分階段を上るとこの場所が最上階のようだった。一階までが吹き抜けの空間となっており、手摺に沿って下を見下ろすと、先程の玄関ホールが見えた。
そう、この宮殿のどの部屋からも玄関ホールに何者かが侵入すれば解るような造りになっている。勿論普通の声で会話をする程度なら聞こえることはないが、この宮殿に用があり、主に会うために大声で「失礼します」と告げればその声はきっと聴こえる筈だ。
ではこの宮殿には誰も居ないというのだろうか。この城の主は今、留守にしている?
自分の任務は要人をブリタニア本宮殿に連れて行くことである。つまりこの国の皇帝の元にその人物を送り届けることだった。皇帝からの命令を無視するなんて、下手をすれば首が飛ぶくらいとんでもないことだった。だから何が何でもその人物を連れださねばなるまい。
「……誰かいませんか?」
もう一度声に出してこの離宮に人が居るか確認する。流石に再びこの吹き抜けの空間から声を出せば誰かしら気が付くに違いない、と。
「……お前は、誰だ?」
不意に背後から声がした。少年の声だった。ゆっくりと振り返ると、自分と丁度同じくらいの背丈の少年が立っていた。ブリタニア人には珍しい濡羽色の黒髪は短く揃っており、肌は白く肌理が細かい。一見すれば少女のようにも見えるが、その声は少女にしては少し低く、けれども心地の良い声色だった。
整った柳眉をグッと寄せ、宝石のように美しい紫玉の瞳がこちらをじっと見詰めていた。
スザクは思わずジッと彼のことを見据えたまま呆然としてしまった。今まで見たことのないくらい……まるで人形のように見惚れてしまうような造形をしていたから。
しかし、彼にはそれが不愉快だったらしい。
「質問に答えろ、お前は誰だ? このアリエス宮で何をしている?」
彼の手には拳銃が握られていた。安全装置は外れており、何時でも弾丸を放てる状態になっていた。そしてその銃口はスザクの方へと向けられている。彼が警戒しているのは明らかだった。
しかし自分はブリタニア軍の軍服を纏っており、それは宮殿住まう者の敵ではないという証明になる筈なのに、それでも彼は警戒を緩めることはない。確かに自分は名誉ブリタニア人で到底ブリタニア人には見えないから、警戒するのも解る気がした。
「自分はこの離宮の主を皇宮へとお連れするように皇帝陛下より命じられて参りました」
目的を告げれば警戒を解いてくれるだろうと思い、皇帝の命令で来たことを彼に伝える。
「……ブリタニア人ではないようだが……名と階級は?」
彼はまだ、銃を下ろそうとはしなかったが、スザクの話を聴く気はあるようだった。紫紺の瞳が真っ直ぐにスザクを捉えた。
「枢木スザク、地位は准尉であります」
敬礼をし、彼の言葉を待つ。彼はふむ、と小さく頷きそして口を開いた。
「……エリア11の……名誉ブリタニア人か。それも准尉とはな」
彼はその険しかった表情を僅かに弛める。
「俺を呼ぶのに名誉ブリタニ人の軍人を寄越すとは……」
彼は独り言のようにそう呟きながら、左手の指先でその絹糸のような髪をハラリと撫でた。
「あなたがルルーシュ•ランページ様ですか?」
それが皇帝より連れてくるように命じられた人の名前だった。逆に言えばそれしか情報は与えられていない。アリエス宮に住んでいるルルーシュ・ランペルージをペンドラゴン皇宮の本宮殿に連れて行くこと。それが任務だった。
「ああ、そうだ。俺がこのアリエス宮の主、ルルーシュだ」
スザクの問いに彼は素直に返答する。スザクが上司から与えられていた情報に誤りはなかったようだ。
「では、一緒に来て頂けますか?」
「皇帝陛下の命令を無視する訳にはいかないからな」
彼は抵抗することなく、スザクに従ってくれるようだった。
ルルーシュは離宮に住んでいるようだが、貴族のような豪奢な格好をしているわけでもなく、至ってシンプルなシャツとスラックスだけといった格好だった。しかしそのままの格好では皇帝陛下に謁見させることは出来ず、スザクはどうしようと戸惑っていた。
「盛装に着替えろ、というんだろ? だいたいお前の言いたそうなことは察しが付く。着替えるから付いて来い」
「ええ」
スザクは頷きながら歩き始めた彼の後ろへと着いて行く。彼が突き当たりの部屋の前で立ち止まると、スザクもそこで足を止める。
「ではこちらでお待ちしております」
「いや、中に入ってくれて構わない」
「ですが……」
「では、入れと命令しなければ駄目か?」
ルルーシュはその紫紺の目を眇めてみせる。
「いえ、ではお邪魔させていただきます」
その返答に満足したのか、ルルーシュはドアを自ら開く。そうしてスザクを手招いた。
室内もやはり白を基調とした空間になっており、優美に装飾が施されている。調度品は品の良いもので、部屋の主のセンスを感じさせる。
「そこのソファにでも掛けてくれ」
彼が示した先には猫足のソファがあり、スザクは失礼します、とそこへ腰掛ける。
彼は奥にあるクローゼットルームへ向かってしまい、スザクは一人取り残された。ぼんやりとしながら暖炉の上の台になっている部分に置かれている写真立てに目を向けた。そこにはプルシャンブルーのドレスを纏った美しい女性とフリルがたっぷり施されたドレスシャツを着ている幼い少年の姿が写っていた。
二人とも綺麗な紫色の瞳をしていて、思わずじっと見てしまう。
「その写真の女性は母なんだ。美しい人だろう?」
彼は自慢げにそう言いながらスザクの方へと近寄ってきた。彼は着替えが済んだらしく、黒の盛装を身に纏っていた。
「ええ、とても」
「母はこの写真を撮った一年後に亡くなってしまったんだ……」
彼は少し寂しそうに笑みを零す。彼にとってこの写真は大切な思い出なのだ。あんなに幼い時に母親を亡くすなんてとても辛かっただろう。
「そうでしたか……すみません……」
「良いんだ。謝ることなどない」
その場の空気が暗くなってしまったことに気が付いたルルーシュは「さぁ行くぞ」とスザクを促す。そしてスザクはその言葉に頷いた。
皇宮へと到着すると、二人は真っ直ぐに謁見の間へと向かう。辺りはひっそりとしており、常ならば多くの貴族や皇族達が場を賑わせている筈のその場所は人気が少なかった。
等間隔に並ぶ衛兵が謁見の間へと繋がる広間に居るだけで、謁見を待つ者は他にはいないようだった。謁見の間へと繋がる扉の前まで歩くと、足を止めることもなく、その大きな扉が衛兵によって開かれる。
この広い謁見の間の向こう側には数段の段差があり、そこに玉座が置かれていた。スザクもルルーシュもただひたすらその場所へと歩み、そしてその目の前まで来ると膝を折った。
「久しいな……マリアンヌの息子、ルルーシュよ」
皇帝は静かに口を開いた。ずっしりとした体格に、威厳のある低い声。この国を治める皇帝を前にして、スザクは緊張した面持ちで頭を下げる。
「面を上げよ」
その声でようやく頭を上げ、皇帝の姿を見ることを許される。チラリと横目でルルーシュの横顔を覗くと、彼も少し強張ったような緊張しているような面持ちをしていた。
「ルルーシュ、お前を呼んだのはお前を儂の息子とする為だ。お前に皇位継承権を与えよう……」
突然の言葉にルルーシュは言葉を喪う。スザクは何が起きているのか全く解らなかった。これは一体どういうことなのだろうか。
「……え……?」
しかし今なら解る。マリアンヌの連れ子としてマリアンヌ亡き後、アリエス宮を自由に使う権利を得ていたルルーシュに更に皇位継承権を与えると皇帝は云ったのだ。血の繋がらない子供に継承権を与えるなんて異例中の異例だった。
「儂はもう子を作ることが出来ないと解った。しかし、今、儂には子供がいない。このままではブリタニアという国すら存続が難しくなってしまう。確かに儂に血縁者は他に居るが、その者達は信用出来るような相手ではない。嘗ては儂と皇位を争い、殺し合いをした者達だ。それならばお前を儂の息子として扱い、お前に皇位を継がせる方が余程良い。愛するマリアンヌの息子よ。儂の息子になってはくれんか?」
皇帝の提案は驚くべきものだった。ルルーシュは少し困ったような表情を浮かべながら思案しているようだった。
「……陛下……、あなたは本当に母さんのことを愛しておられたのですね?」
「……勿論だ。マリアンヌは死したが、今でもその気持ちは変わらない。何度再婚してもマリアンヌのことを忘れられる訳がない……」
皇帝の言葉を聞き洩らしの無いよう注意深く耳を傾ける、そしてその言葉の意味をしっかりと咀嚼するように何度か頷き、ルルーシュはその紫玉の瞳を真っ直ぐに皇帝へと向ける。
「……解りました。私はあなたの息子になります……きっと母さんもそれを望んでいるでしょう」
「……よく云った、我が息子ルルーシュよ……。そこに居る枢木をお前の騎士としよう。ルルーシュ、枢木よ、異存はないか?」
突然の皇帝の提案に二人は顔を見合わせる。自分が次期皇帝の騎士になるなんて思ってもみなかったし、彼も騎士を突然持つことになるなんて考えていなかったのだろう。けれどもこの提案に異を唱える程の理由は特に無かった。それに皇帝の勅命を断ることなどそもそも出来ないのだ。
「イエス、ユア・マジェスティ」
二人はそれぞれに口を揃えて同意を告げる。皇帝は満足したように笑みを零し、そして謁見は終了した。
「ルルーシュ様……本当に自分でよろしかったのですか? ……その、自分は名誉ブリタニア人です」
名誉ブリタニア人を騎士とする者が居るという話は聞いたことがない。ましてや彼は次期皇帝だ。皇帝になるべく存在の騎士が名誉ブリタニア人では示しがつかないのではないだろうか、とそんな不安が過る。
「……枢木、俺はそんなことに拘ったりはしないよ。皇帝の実の息子ではない俺が血や系譜に拘っても意味は無いと思わないか?」
しかし、皇帝はあたかもルルーシュがはじめから皇子であるように工作していた。成人しない皇族は表に顔や名前を発表することはない。だからルルーシュが皇子として表に顔を出すのは少なくとも十八歳を迎える四年後以降になる筈だ。ブリタニアの皇族は十八歳で成人と見做されることになっている。
「ですが……」
「良いから付いて来い。とにかくお前は俺の騎士になったんだろう?」
彼の言う通りだった。どちらにしても自分は彼の騎士を務めるしか道はないのだ。そもそも選択肢などはじめから存在していなかったということにどうして気が付かなかったのだろう。
「お前も今日からこのアリエス宮に住まうことになる。騎士とは主と離れず共に過ごすのだと母上が昔仰っていた」
だからお前もそうするべきだ、と彼は続ける。
「解りました。しかしこの宮殿に使用人はいないのですか?」
この場所に初めて足を踏み入れた時も、そして今も、人の気配は感じられない。居るのはスザクとルルーシュの二人だけのようだった。
「いや、一人居るのだが……」
「……お帰りなさいませ、ルルーシュ様」
突然、女性の声が聞こえてスザクはビクリと背を戦慄かせた。人の気配には敏感である筈の自分が気が付かないなんて初めてのことだった。
「初めまして、枢木スザク様。私は篠崎咲世子と申します。このアリエス宮のメイドを務めさせていただいております」
声のした方へと二人が振り返ると、そこには日本人の女性が立っていた。日本人だと解ったのは、彼女の名乗った名前がまさしく日本人のものだったからだ。
「日本人……!?」
そう言葉にしてからハッとした。日本人といった呼び名はもう使われていないのだ。今はイレヴンとそう呼ばれるのが通常で、そうでなければならなかった。しかし咲世子もルルーシュもそれを咎めようとはしなかった。
「咲世子はお前が騎士となる前まではメイド兼護衛だった。忍者の末裔だそうだ。もしかしてお前もそうなのか?」
「……いや、自分は……違います……」
忍者。スザクも日本人だが、忍者の末裔といわれる人物には初めて会った。そもそも忍者が実在していたのかどうかすら怪しいというのに。
しかし、気配の消し方や身のこなしが普通の人間ではないとはっきり表していた。とても一介のメイドには見えなかった。一体何故彼女がアリエス宮で働いているのか全く検討が付かなかったが、彼女の腕は優秀だった。
「ルルーシュ様、これからお夕食の支度を致しますが、何かご要望はございますか?」
「うん、そうだな……。枢木が今日からここに住まうことになるから、枢木の好きなものにしようか」
「そうですね。では枢木様、お好きなものはありますか? 日本食もお作り出来ますよ」
ニコリと微笑んだ彼女とルルーシュにスザクは少し嬉しくなった。