背徳の花04*
自らの宮殿に戻って来たゼロは自室に入るとアンティーク風のソファへと腰掛け、足を組む。目の前には硝子で出来たローテーブルがあり、ジノがその上にソーサーとティーカップを置いた。そして淹れたばかりの熱いアールグレイティーをカップへと注ぐ。そしてジノはゼロの手前へとソーサーごと移動させる。ゼロはカップを手に取ると琥珀色の液体はゼロの姿を映し出し、それを見たゼロは目を僅かに細めた。
「なぁジノ、父上は皇位継承第一位の座をユーフェミアにと」
皆の前でお茶会を宣言する前、皇帝から連絡が入ったのだ。正式にユーフェミア・リ・ブリタニアの皇位継承権を第一位にする、と。元々自分の持つ継承権は仮のものだったから此処に来て高齢となってきた皇帝が焦るのも解る。正当な後継者はユーフェミアであると内々には発表するのだろう。この国の皇族は公務を担うまで表に顔を出すことはないから正式に発表されることになるのは彼女が公務に付くようになってからになるだろうが。
「……ではゼロ様は……」
「そう、これでは廃嫡されたも同然だな。しかしそれは構わないんだ……」
ユーフェミアが死なない限りゼロ……ルルーシュが皇帝になることはない。しかし、彼女を殺してまで皇帝になりたいとは思わなかった。欲しいのは皇帝の椅子ではないのだ。
「俺が欲しいのは玉座ではない……」
ゼロはゆっくりと紅茶の入ったカップへと口を付ける。ふんわりとベルガモットの香りが漂い、そしてまだ熱い紅茶が喉を通る。ジノはその様子をじっと見詰めながら不安そうな表情を浮かべ続けていた。
「スザク……そう、スザクが欲しい……」
カップをソーサーに戻し、ゼロは口を開いた。そうして出てきた望みはユーフェミアの騎士のことだった。
スザクはゼロにとって特別な存在だった。嘗ては自分の騎士だった。信頼し合っていると思っていた。ずっとこのまま彼と一緒に過ごしていられるとあの時は思っていた。それなのに……。
彼はナイト・オブ・ラウンズとして皇帝直属の騎士とされ、取り上げられてしまったのだ。専任騎士を決められるのは主だけなのに、皇帝はそれを無視したのだ。
「……しかし彼は次期皇帝に仕える騎士です」
「……そんなことあの皇帝が決めたことだ。スザクは俺の大事な……」
大切な存在だった。自分を闇の中から救い出してくれたとても大切で他の何にも代えられない存在。それが枢木スザクだった。
「ゼロ様……いえ、ルルーシュ様、どうしてあの枢木スザクに拘られるのですか!?」
ジノは眉をグッと寄せてゼロ――ルルーシュの座るソファの前に置かれたローテーブルに手を置いた。その衝撃でカップはカシャンと軽く音を立てて動き、カップの中の紅茶が揺れた。
どうしてスザクに拘るのかジノには解らないだろう。どれ程自分がスザクに助けられ、そして彼と大切な時間を共に過ごしてきたのか知らないのだから。
ルルーシュは顔を上げ、ジノのそのベリルの瞳をじっと見詰めた。彼は自分のことを愛してくれている。しかし、その想いに応えることは出来ない。幾ら身体を重ねても彼はスザクではないのだから。
「ジノ、俺はスザクのことを愛している。あいつが俺の騎士だった頃から……だから……」
だからお前では駄目なんだ、そう続けようとして重たい口を開く。しかしその前にジノはこちらへと近づいてくる。
「私では……代わりにはなりませんか……?」
ジノの言葉にルルーシュは息の呑む。そしてジノはその細い躯をソファの後ろに立ち背後から背中をからギュッと抱きしめた。
力強いその両腕はルルーシュを離したくないといった必死さを伺わせる。こんなにも彼は自分のことを愛していてくれている。それなのにずっとスザクのことが頭から離れようとはしなかった。
どうしてこんなに愛してくれているジノのことだけを愛せないのだろう。どうしてスザクのことを忘れられないのだろう。ルルーシュは少しだけ自分の心を恨む。この両腕を抱きしめ返せたらきっと幸せになれるだろうに……。
ルルーシュはギュッと目を閉じ、身を硬くした。
「……スザクの代わりでも良いんです。私だけはあなたの傍に……」
ジノは更に抱きしめる腕の力を強めた。ぎゅっと抱きしめるその両腕をルルーシュは手で撫でる。しかし、ルルーシュには何も言えなかった……。
スザクのことをずっと愛していた。いや、今でも愛している。なのに彼はどうして昔と変わってしまったのだろう。あの頃はいつも二人で笑い合い、そして永遠に彼は自分の騎士であると信じて疑っていなかったし、彼もきっとそう思っていた筈なのに……。
「愛しています、ルルーシュ様……。代わりで良いんです。あなたを愛させて……」
ジノは後ろからルルーシュの首元に口付ける。触れるだけの優しいそれにルルーシュは眉をグッと寄せた。ジノとは既にもう何度も身体を重ねてきた。それはルルーシュの我儘でジノの意思ではなかった。ジノに自分を抱くように強要したのだ。既に自分はジノをスザクの代わりにしていたのではないのだろうか。
そんな思考が頭を過る。
ジノはそれでも自分のことをスザクの代わりにして良いと告げた。それがどんなに苦しい想いで発した言葉なのかルルーシュにもさすがに解る。スザクのこともジノのことも苦しくて仕方がない。どうして自分たちは幸せにはなれないのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。全ては罰なのかもしれない。きっと互いに互いの気持ちを利用し続けてきた罰なのだ……。
「……ん……」
首筋へのキスは項へと移り、指先は優しくルルーシュの桜色の唇の上をなぞる。反対側の手は簡単に襟元のボタンを外し、鎖骨の辺りを這う。スルリと手際よくジャケットを脱がせ、シャツのボタンを後ろから外される。合わせの部分から手を差し込み、そして胸元へと侵入してくる。
「ジノ……ッ……」
胸の淡く色付いた部分を指の腹で擦り上げられ、ルルーシュはジノの名を呼んだ。そうして口が開いたところに彼は指を挿し込み、舌を撫でるように口内を詮索する。
「ん……ふ……ぁ……ッ」
少しだけ苦しくて、紫紺の瞳から僅かに涙が滲む。ジノはソファの背を乗り越えて、ルルーシュの上へと覆い被さる。
「ルルーシュ様…………」
何度も何度も啄むように口付けられ、ルルーシュはジノの首へと両腕を回した。そして一気にそれは深いものへと変化していく。舌を絡め合わせ、口端からはどちらのものともつかない唾液が零れ落ちる。
胸元へと触れていた指先は肋骨の上を通り、臍の窪みをなぞる。それからそのまま更に下へと降りていく。敏感な部分は避け、内股を擦るように撫でられ、ルルーシュはそんな動きに焦れるように身を捩る。
既にズボンは剥ぎ取られ、下着一枚の姿にされていた。
下着は既に先走りの液体で濡れており、その部分をジノは指で撫でる。直接的な刺激にルルーシュは腰を揺らす。
「ん…………っ、あ…………」
ウエストの部分から僅かに先端が覗き、こぽりと透明の液体が垂れる。
「んんッ…………!」
再び深く唇を合わせ、今度はそのままジノの手が下着の中へと入ってくる。幹の部分を扱くように摩り上げられ、身悶える。
「あ……ッ、ンンッ……」
先端から垂れる液体を指に絡めその部分を指の平で擦るとルルーシュは一際大きく声を上げる。そして括れた部分に指を引っ掛けるように刺激する。
ジノによって性器に直接的な愛撫を施され、ルルーシュには為す術がなくなっていた。
「……ルルーシュ様……どうか……私のことをスザクと思ってくださって構いませんから……」
「……ジノ……?」
ふと、愛撫する手を止め、そうして聞こえたジノの言葉にルルーシュは彼の名を呼ぶ。
「私は、《あなたのスザク》。確かに彼と私とでは似てはいませんが……」
「……すまない、お前にそこまでさせてしまうとは……」
「良いんです。あなたが哀しむ顔を見たくないんです。皇帝陛下やこの国に振り回されて疲れてしまったあなたにこれ以上哀しんでほしくない……」
「……ありがとう……」
ジノの言葉に素直に礼を告げる。ジノは出会った時からいつでも自分のことを心配してくれた。スザクが自分の目の前から消え、そして途方に暮れていた時、彼が支えてくれた。しかし自分はその彼を利用した。
愛している、という感情とは少し違うが、ジノはジノで大切な存在になっていた。スザクを想うような気持ちとは少し違う。それでも彼に自分を抱くように命令したのはスザクが消えて淋しかったから。スザクに抱かれたいといった欲望をジノへとぶつけてしまったのだ。
何て自分は病んでいるのだろう。どうしてそういう思考になってしまったのだろう。幼い頃から普通とは違った育てられ方をしたせいだろうか。
望めば全てが手に入り、求めれば誰もがその要求に応じる。そんな中、幾ら望んでも取り上げられたまま元に戻らなかった存在はスザクだけだった。
「ん…………」
ジノと再び唇を合わせる。そうして彼は既に勃起していたそれを蕾へとあてた。ゆっくり慣らすように、焦らすように彼の先端と蕾とを擦り、そうして静かにその先端を埋め込み始める。
「あ…………っ」
体内へと入り込んでくる圧迫感に息を呑む。何度経験してもこの瞬間だけは少しだけ苦しい。しかし、それもすぐに快感の波に打ち消されてしまうのだが。
ルルーシュへと負担を掛けないようにジノはゆっくりと慎重に腰を進めていく。彼は優しくて、いつもルルーシュに気を使っている。だからこそこの優しさに甘えてしまうのに。
「は……ん……っ……」
中まで全部埋め込み、そこでジノは慣らすようにと少しだけ腰を揺らす。それだけで気持ち良さが波のように押し寄せてくる。気が付けば自分から腰を揺らしていた。
「あ……ッ、ああッ……!」
ルルーシュの反応にジノは腰の動きを速める。すると水音が周囲に響く。
「んッ、あ……はぁ……アァン!」
すぐに限界は近づいてくる。ルルーシュの反応が良い部分を集中的に擦るようにジノが腰を動かすと、もう限界だった。
ルルーシュは内股をピクピクと痙攣させながら精を吐き出した。
「ああああッ……!」
そうして更にキツくなった内部にジノも全てを注ぎ込む。
「……ッ、ルルーシュ……様ッ……!」
ジノは吐精し、ぐったりとしているルルーシュをギュッと抱きしめた。
* * *
「スザク……ねぇ、どうして……何も云ってくれなかったの? ゼロ様……いえ……ルルーシュのこと……」
ユーフェミアは自室へと戻ると今にも哀しげな表情のままこちらへと視線を向ける。彼女の纏う白いドレスは室内の間接照明の光をキラキラと反射させる。彼女はスザクの手を取ると、オーガンジーの手袋をした手を重ねあわせた。
「……何が……あったの……? 私が知らされていないことを……教えてくれませんか?」
菫色の瞳はとても強い力を持っていた。彼女には隠し事など出来ない。そんな風に思わせられるようなそんな瞳だった。
「ルルーシュ様は……皇子ではありますが、皇帝陛下の血を継いでいないのです」
「え……?」
彼の周囲の人物たちですら知らされていない事実。それをスザクは遂にユーフェミアへと話し始める。
「これは国家機密です。だから易々と口にすることが憚られました。しかしあなたは次期皇帝となられるお方……もっと早くお伝えするべきでした……」
スザクは静かに告げた。
そう、彼女に説明するべきだった。どうして彼女が次期皇帝でルルーシュがそうでないのか……。それはユーフェミアが皇帝の血を受け継いでいる皇女でルルーシュは皇子でありながら皇帝の血を一滴も受け継いでいないという事実が起因している。
どうしてそんなことになってしまったのか、それはルルーシュに非がある訳でも、ましてやユーフェミアに非がある訳でもなかった。どちらにも非はない。ただただ偶然が重なってしまって結果的にこうならざるを得なかったというのが正しい。スザクは自身が知っている限りの経緯をユーフェミアに語ろうと口を開く。
「あれは八年前のことです……」
ユーフェミアの母、コーネリア・リ・ブリタニアは唯一の騎士ギルフォード・GP・ギルバートを連れ逃げ出した。その頃ブリタニア皇宮は荒れていて、暗殺や暗殺未遂も多く、一人の側近がコーネリアの食事を毒味した際、目の前で毒味役が死に、遂にすぐ傍まで暗殺者の魔の手が忍び寄っていたということを知った。そして、コーネリアは腹の中に宿る娘を心配し、后妃の責任から逃れた。
「ギルフォード……すまないが私の判断に従ってくれるか?」
薄暗い后妃の私室。蠟燭の明かりが僅かに周囲を照らす。そんな中コーネリアとギルフォードは二人部屋の中に佇んでいた。
窓からは月明かりが入り込んでいるが、満月ではない為にそれ程明るくはなかった。下弦の三日月は新月へと向けて細く儚い印象を与えた。その様子を見ながらまるで自分の立場を表しているようだとコーネリアは思った。
「ええ、勿論です。コーネリア様。私はあなたの専任騎士です。如何なる時もあなたに従うと心に誓っております。喩えそれがどんな命令であっても……」
ギルフォードはコーネリアの優秀な専任騎士だった。どんな時でも彼女を護り、そうして命懸けで彼女を救ったことは何度もあった。しかし、コーネリアが妊娠中に暗殺未遂に遭ったのだ。
后妃である自分だけが狙われるのならば構わない。しかし自分の娘だけはそんな危険に遭わせたくはなかった。今死ねば娘は産まれることなく共に死ぬことになるのだ。それなのに恐れていた事態が現実となりそうになった。
寸でのところで何とか大事は免れたが、やはりこの国の皇室は危険だった。世継が居なくなることは国として拙いことではあるが、次期后妃の座を狙っている者にとってはそれは問題にはならない。
一夫一妻制を取るこの国は后妃と離婚するか死別するかしなければ次の后は娶れない。だからこそその座を狙おうと暗殺のような無粋な真似をしてくる輩が後を絶たなかった。
皇帝が高齢であれば后妃の座を得たとしても世継を作ることは難しいだろう。しかし、今ならばまだ充分世継を作ることも可能だ。そうなればあと十年くらいはこの状況が続く可能性が高いということになる。
この国は確かに男系が皇位を継ぐのに有利ではあるが、女系が皇位を継げない訳ではない。だからこそ、昔のヨーロッパの国々のように女児ばかりを産み落としたとしてもそれ程プレッシャーにはならなかった。
「ギルフォードよ……この場所を無事に離れたら私ではなく、ユーフェミアを第一に護ってほしい。勿論お前が私の専任騎士であるということは解っている。しかしこのユフィを任せられる専任騎士が現れるまではお前に頼みたい……」
「コーネリア様……イエス、ユア・ハイネス」
そうして二人は皇帝の留守中を見計らって皇宮を離れた。そして長い間彼らの消息は不明のままだった。
この国の皇族は成人を迎えるまで皇子や皇女を表に立たせないから、その事実は表沙汰にはならなかった。コーネリアは長い間病気であったが、一年後に死亡したと発表され、皇帝は後妻としてマリアンヌ・ヴィ・ブリタニアを迎えた。彼女には幼い連れ子が一人。それがルルーシュだった。
マリアンヌが皇帝との間に子供を作ることを周囲からは望まれ、マリアンヌは妊娠したが、その子供は双子だった。しかし、マリアンヌの身体は双子の出産には耐えられなかった。
結果的にマリアンヌは出産時に双子と共に死亡し、皇帝は正式な跡継ぎを失くした。そしてその後、后妃となった者達も次々と子供を産むことなく暗殺され、遂に子供を作ることが難しくなった皇帝は仕方なくマリアンヌの遺した子供であるルルーシュを養子にした。
勿論その事実はほんの一部の者しか知らず、ルルーシュは皇帝とマリアンヌの子供だと思われていた。しかし、そんな最中、ユーフェミアの生存が確認され、皇帝の実子であるユーフェミアが正式な跡継ぎとして皇帝が認めたのだ。
「そして私は元々の皇位継承者であったルルーシュ様の騎士からナイト・オブ・ラウンズを経て、新たに皇位継承者となったあなたの騎士へとなりました」
ルルーシュはスザクという専任騎士を皇帝によって取り上げられ、ナイト・オブ・ラウンズとなり、その時を待った。
そしてそのスザクはユーフェミアの騎士となったのだ。それはスザクの意思でもルルーシュの意思でもなかったが、この国の絶対的な支配者である皇帝に逆らうことなど誰も出来なかった。
「そんな……」
「お気持ちは分かります。しかし、これが事実なのです」
スザクは翡翠の目を伏せる。殆ど知られていない事実。それは皇族という血で縛られた一族に振り回されたルルーシュという被害者がいたということ。
スザクはズボンのポケットに手を差し入れると、そこには一通の封筒が入っていた。それを取り出し、ユーフェミアへと差し出す。
「招待状が正式に届きました」
真っ白な封筒に筆記体で《親愛なるユフィ》と書かれたものは裏側は蝋で封がされている。エレガントな雰囲気を醸し出すそれが誰から誰へ何に招待をするものであるかは訊かなくても解るだろう。
ユーフェミアはペーパーナイフが手元に無いため、手でそれをピリピリと音を立てながら開封する。中には一枚の羊皮紙が入っていた。そしてそこにはお茶会の日時と時間が書かれている。
「ルルーシュ様はきっとあなたのことを恨まれているでしょう。しかし、あなたは何も悪くありません。自信を持って参加されてください」
「……ええ……」
ユーフェミア頷く。しかし、やはりその表情は不安でいっぱいだった。そんな彼女の手を取り、その甲へと口付ける。
「あなたなら大丈夫です」
そう微笑めば、彼女の顔にもいつもの笑顔が戻ってくる。
「はい、私も……自分を信じてみます」
* * *
学園の庭園でのお茶会は華やかなものだった。薔薇の下でのアフタヌーンティーやケーキ、スコーン、クッキーなどの茶菓子が振る舞われ、談笑を楽しみながら過ごす時間。穏やかな筈だった。しかし自分もユーフェミアも警戒を緩めることなど出来ない。ゼロたちが一体何を考えているのかも解らず、ユーフェミアに危害を加えようとしている可能性も否めなかったからだ。
「ユフィ、今日は来てくれてありがとう」
こちらに近づいて来たゼロはニコリと微笑む。そんな彼の方へとユーフェミアは顔を上げる。
「此処に座っても良いかな?」
「はい、勿論」
その提案にユーフェミアは素直に頷く。ゼロはユーフェミアの向かい側の席に着く。二人の間には丸い鉄製のガーデン用のテーブルがあり、その上には真鍮で出来たアフタヌーンティ用のティースタンドが置かれている。三段に重なる皿の上には色とりどりのお菓子が並んでいた。
ゼロの前にメイドがティーカップを置き、香りの良いアールグレイティーを注ぐ。それが終わると彼女は一礼し、後ろに下がった。
「ゼロ様……あなたが私と同じブリタニアの姓を持っているって……私知らなくて……」
ユーフェミアはその菫色の目を伏せる。決して彼が悪い訳ではないということも知っている。しかしゼロがユーフェミアのことを恨んでいるだろうことは容易に想像出来た。
しかし、彼の言葉はユーフェミアやスザクが想像したものとは少し違っていた。ゼロは美しい紫紺の瞳をユーフェミアに向ける。そしてゆっくりと話し出した。
「ユフィ、君と私とは血は繋がらないけれど、いわば義理の兄妹のようなものだ。だからそう気負うことなどないと思わないかい?」
冷たさを含んでいるが、優しい色をした紫水晶にユーフェミアは素直に頷く。しかしスザクには彼が何を考えているのかよく解らなかった。
「はい……」
「私のことも《ルルーシュ》と」
ゼロは自らのことをルルーシュと呼ぶようにユーフェミアに提案する。一体どんな意図を持っているのか、何か理由や裏があるのではないかと、スザクは考えるが全く何も思いつかなかった。
ルルーシュは苺のショートケーキを一つ取ると優美な仕草でフォークを滑らせ、口に運んだ。彼が食事をしたりする場面を見ることは滅多にない。しかしやはり全てが洗練されており、彼が皇帝の隠れた養子となってからずっと皇子として育てられてきたのだというその風格が漂っていた。
ルルーシュの背後にはジノ、ユーフェミアの背後にはスザク。それぞれの騎士達は主達の会話を聞きながら、静かにその場所にいることしか出来ない。騎士の役割はメイドや執事とは違うのだ。
「はい……ルルーシュ……」
彼とどう会話を繋げていけば良いのかユーフェミアは解らず、少し戸惑っているようにも見える。しかしルルーシュはそれすらも解った上で彼女の元を訪れたのだろう。
「ユフィ……私のことは気にしないでほしいんだ。私は確かに皇子として今まで扱われてきたけれど、正式な皇位継承者は君だ。そのことに関して私も異存はないし、皇位が欲しいとは思っていないんだ」
「……でも、私が現れるまで、あなたは周囲に皇位を継ぐ者だとして扱われてきたのですよね? ルルーシュ……本当にそれで良いの?」
「……それで良いんだよ、ユフィ。私が皇位に着けば、結果的に臣民を騙してしまうことになる。皇帝陛下の血を一滴も受け継いでいない私が皇帝となれば、そのことがいつかばれる日が来ると思っている」
確かに血液やDNAを分析させればすぐに解ってしまうことかもしれない。皇室にいたとしても何か問題が起こればそういった検査を受けることだって有り得なくはない。
「そこまで危険を冒して自分が皇帝になるつもりはないよ。それに君の方が国を治めるのには向いているだろうし」
「……そんな、私なんて……全然そういうのは苦手で……。ルルーシュは《ゼロ》としてこの学園を治めてますし……」
ユーフェミアはかぶりを振る。彼女は謙虚で少し自信がないのだろう。それは仕方がない。この学園に来て間もないし、自身が皇族だと知ったのも最近だ。幼い頃から帝王学やらを身に付けてきたルルーシュとは違うのだ。
「そんなものは所詮皆、私が皇族の関係者だと知っていたからに過ぎないよ。この学園は人柄ではなく家柄や爵位で物事を推し量る人たちばかりだから……。知っているかい? 私の母は確かに后妃となった人だけれども、もともとは平民階級出身なんだ」
ルルーシュの言葉にユーフェミアは息を呑む。后妃が平民階級出身ということはつまり……。
「実は実の父親が誰だかも解らないそうなんだ。しかし恐らく爵位を持つような人ではないだろう。だから本当はこの学園に一番似合わないのは《俺》なんだよ」
ルルーシュは少し哀しそうに微笑んだ。それが何だかとても切なくなるようなそんな気持ちにさせられる。
「で……でも、 ルルーシュ……私はずっと庶民だと思って暮らしてきました。それが苦しいと思ったり辛いと思ったり、そんな風に思ったことなんて何一つなかったんです。この学園が異常なんだと思います。爵位や財力はそもそも受け継がれただけのもので、その人自身の力ではないのだし……」
「……そうだな、ユフィ……」
ルルーシュはクスリと微笑みを見せる。
「君は凄いな……」
「そんなことありません。私だってまだまだ何も出来ないお人形みたいな生活を送っていますし……。それでも……ルルーシュは言ってくれました。私達は《義兄妹》のようなものだ、って。凄く嬉しかったんです。私に兄弟なんていないと思っていたから……」
ルルーシュはその言葉にふと顔を上げ、じっとユーフェミアへと視線を向ける。その紫紺の瞳はユーフェミアの姿をしっかりと映し出し、とても綺麗に思えた。じっと見入ってしまいそうになる紫色の瞳。魔性の色だった。
「本当ならば弟と妹が出来る筈だった。産まれる前に名前も決めていたんだ……。君にとっても異母弟妹となる筈だったのにな……」
「……残念です……」
ふわりと風が吹き、薔薇の香りが漂う。何もかもが最上級であるこの学園は薔薇の香りまで香水のように鮮やかに感じられる。
「……でももし、これからのことで私に何か協力出来ることがあれば……」
出来ることがあるのならば血の繋がらない兄に協力したいとユーフェミアは提案する。すると、ルルーシュは僅かに目を細め、口端を上げた。
「実はユフィ……一つだけ君にお願いしたいことが……」
そこまで告げ、ルルーシュは紅茶に口を付ける。そして静かにカップをソーサーに戻し、再びユーフェミアへと視線を戻す。眉を寄せ、少しだけ困ったような表情をした彼にユーフェミアは頷く。
「……ええ……私に出来ることならば……」
「ユフィ……」
――俺と決闘をしてくれないか?
彼の口から出た言葉は思ってもみない言葉だった。突然のことにスザクもユーフェミアも目を瞠る。
「決闘……ですか……? でも、何故……?」
皇位を巡っての決闘ということは有り得ないだろう。先ほど彼は彼自身の言葉で皇位はいらないとはっきり断言したばかりだった。
では、何が望みだというのか。スザクはユーフェミアの後ろから彼女を直ぐに護ることが出来るように腰に刺さる剣に手を掛けた。
「……君の騎士が……ほしい」
「……スザクを……?」
ジノはルルーシュの後ろで目を伏せる。スザクは彼らを見詰めながらグッと眉を寄せた。ユーフェミアは戸惑いながらルルーシュの意図を探る。
「そう、スザクを返して欲しい」
――スザクを返して欲しい
それはつまり皇帝に取り上げられた騎士を自らの元に戻したいということだ。皇帝の意に背く願いではあるが、この学園の決闘は皇帝ですら覆すことが出来ないのだという。それ程に厳格な儀式であるというのだ。その決闘でルルーシュはスザクの存在を望んだ。
「それは……本気ですか、ルルーシュ様……!」
スザクはユーフェミアの後ろから口を挟む。どうしてそこまでしてルルーシュは自分のことを望む? それも今更何故? 自分が彼の前を去らなければならなくなった時、彼は引き留めようともしなかったのに……。
「……ルルーシュ様は本気だ。枢木卿、ユーフェミア様……。この私と剣で勝負してもらいましょう」
ジノはグッとスザクを睨みつける。申し込まれた決闘を受けなければ不戦勝となり負けたも同然となる。受けない訳にはいかなかった。
「ユーフェミア様……承諾するしかありませんね……」
「……スザク……でも……」
「此処で受けなければ負けとなります。戦うことなく私はユーフェミア様の元を去らなければならなくなってしまいます」
スザクが焦ったような声色で告げると、ユーフェミアは表情を強張らせながらも静かに首を立てに振る。
「……わかりました…………。その決闘……受けましょう」
ユーフェミアはじっと決意をするように力を込めて宣言する。逃げられるものではない。正々堂々と勝負するしか道はなかった。
「一週間後、ジノと共にお待ちしています」
ルルーシュはそう告げて、席を立つ。ユーフェミアは座ったまま彼と彼の騎士を見送ることしか出来なかった。