とてもささやかな苦しみを
「ど……うして……?」
スザクの口から洩れた言葉は既に意味を成さないものへと変化していた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。彼のことは自分が護る筈だった。ゼロに助けられ、ユフィによって学園に通わせてもらえるようになり、その先で再会した彼のことを。
此処はアッシュフォード学園のクラブハウス内の一室。そこに生徒会メンバーが静かに佇んでいた。
スザクは部屋に入るや否や、ミレイから寄越された連絡の内容が真実であることを知る。冗談だろ、と受け流したかった。しかしもし冗談なのだとしたら相当性質の悪い分類にはいるであろうその言葉は電話越しにスザクの耳を抜けるように通り過ぎた。
ナナリーの泣き叫ぶ声だけが室内へと響く。シャーリーもリヴァルもミレイですら涙を浮かべているが、ナナリーを慰めるのに必死になっていた。
「お兄さま、私の所為で……!」
「……ナナちゃんッ」
ぎゅっとナナリーを抱きしめるシャーリーは彼のことが好きだった。それは彼女自身がそう認めなくとも周囲にも明白で、しかし彼女は真実を知らない。
「本当に……ルルーシュは……」
スザクがゆっくりと口を開くとミレイは僅かに頷いた。そう、この部屋に入ったときから視界には入っていたのだ。
彼が横たわって眠っている木製の柩が。ナナリーは決して目覚めることのない彼の躰に抱きついて涙を流している。その彼女をシャーリーは後から優しく包み込む。
「……私たちが護らなきゃいけなかったのに……」
ミレイはポツリとそう呟いた。
「この学園はルルーシュとナナリーを護る為の箱庭だった。気付いていたでしょう? スザク」
真っ直ぐに向けられる青い瞳にスザクは息を呑む。あの夏の日、スザクがルルーシュと別れてから七年間、ルルーシュはこのアッシュフォードでナナリーと共に匿われていた。そう、七年間も暗殺者や皇族に見つかることなく無事に過ごせたのだ。しかし、何故今?
答えは明白だった。
(僕の所為だ!)
皇族の選任騎士である枢木スザクが通っている学園。それだけでこの学園は注目を集め過ぎた。ましてやその学園の学園祭に皇女が訪れ、行政特区などという政策を打ち出したのだ。これ以上に注目を集める方法など存在しないだろう。
――ルルーシュとナナリーが居たのに……ッ
彼とナナリーを護る。そんなことを言って実際彼らが傷ついたのは他でもなく自分が原因だった。何が“ルルーシュを護る”だ。これでは自分がルルーシュを殺したのも同然だ。
そしてミレイは恐らくそのことをに対して自分を責めているのだ。
「……ごめんなさい……」
謝ったとしても彼が帰ってくることなどありえない。けれどもどうしてもそう言わずにはいられなかった。ミレイに対してもナナリーに対しても。
軽率だったのだ。考えも、行動も、何もかもが。何故彼が七年間もナナリーを守り通すことが出来たのか。それは彼が目立たないように、慎重に慎重を重ね、警戒心を解くこともせずに怯えて暮らしていたからだ。なのにスザクはそれを壊した。壊してしまった。
――本当に彼らのことが大好きだったのならばすぐにでも学園を離れるべきだったのだ。
彼が危険を冒してでもスザクのことを受け入れたのはスザクに対する彼の精一杯の優しさ。その優しさに甘えたのは自分。
「謝っても……ルルーシュは……生き返らないわ。私はずっとこうなることを恐れていた……けれども、止められなかったッ!」
ミレイの目尻から涙が零れ落ちる。彼女もルルーシュのことを愛していたのだろう。そう、此処にいる誰もがルルーシュのことを好きだった。喩えそれが恋愛感情でなかったとしても。
「会長……どういうことですか? 何でルルーシュが殺されなきゃならなかったんだっ! 知っているんでしょう!?」
リヴァルは声を荒げた。そう、此処に居るミレイ、ナナリー、スザク以外の四人はルルーシュとナナリーの境遇を知らない。
「……会長は……スザクくんは……何か知っているの?」
シャーリーは顔を上げた。カレンやニーナもこちらを見詰めている。
「ええ。でもナナリー、話すかどうかはあなたに任せるわ」
頷いてミレイはナナリーへと視線を向けた。
「……お話して……下さい。お兄さまと私が何者なのか。……私は覚悟を決めました。真実を知られる覚悟を」
涙交じりの声だったが、その決意ははっきりとしており、彼女は強いと思う。スザクもミレイへと頷いて視線を送る。
「ええ、話しましょう。ルルーシュとナナリーのことを」
* * *
「じゃあルルーシュとナナリーは……」
皇族だったの? とカレンは絶句する。真実を知らなかった皆は驚きを隠せないでいた。
「だから……僕の所為なんだ。僕が……僕の所為でルルーシュは死んだ」
改めて事実を口にすると、スッと冷たい空気が身体の中へ入っていくようだった。好きだった。愛していた。けれども自分の所為で彼は殺された。
「お兄さまは……私を護ろうとして代わりに撃たれました。私のことを抱きしめて……。あの時の…………お母さまのように……」
ボロボロと涙が零れ落ちる。ナナリーは嘗ても同じ目に遭ったことがあるのだ。その時は母親であるマリアンヌが身を挺して彼女を護った。そして今回はルルーシュが。
「私が死ねばよかったのにッ! 私が死ねばッ! お母さまも、お兄さまも私を残して死んでしまったッ!」
彼女の姿は七年前のそれと重なった。夜、彼女はあの事件を思い出しては土蔵中を荒らしてしまうことが度々あった。でも、ルルーシュは彼女を咎めようとはしなかった。優しく抱きしめて安心させてやるのだ。
「ユフィ姉さまが来なければッ、スザクさんが来なければッ!」
今も見つからずに二人で過ごせていた筈なのに、とナナリーは泣き叫ぶ。
「ごめん、ナナリー。ごめんね、僕の考えが足りなかったんだ……」
そんな言葉は気休めにすらならない。ナナリーは怒りに任せて閉じていた瞳をパッと開いた。その様子は悲痛そのものだった。長い間光を宿さなかった瞳に突如写りこんだのは横たわる兄の姿だったのだから。
「ぁあ……あ…………ぁ……何で、……何で……、お兄さまの顔が……」
見えるの?
「……イヤァァッ!」
今まで見たくとも見られなかったその姿が、ナナリーの淡い菫色に映し出される。冷たく横たわる兄の姿は体裁良く整えられ、柩へと横たわっていた。
「私が……見たかったのは……こんな、こんなお兄さまの姿ではないのにッ!」
悲痛な姿を見せ付けられ、誰も声を掛けられなかった。この兄妹の絆の深さは明白だった。ルルーシュがナナリーのことを過保護に育てていたのはこの事実があったから。皆、それを悟ったのだろう。
「……ナナリー……様、……これからどうしましょう? あなたの居場所は暗殺者に割れてしまった。すぐにでも危険が迫っているかもしれないわ。身を隠すなら急いだ方が良いと思うの……その……ルルーシュ様と離れるのは……御辛いかもしれませんが……」
ミレイはそっと後からナナリーへと声を掛ける。その言葉にナナリーは首を左右に振った。
「私は……ッ、私は、お兄さまとは離れません。何があっても、決してッ!」
ルルーシュは学園のすぐ傍でナナリーと共に居たところを何者かに襲われたらしい。車椅子に乗るナナリーは格好の標的だった。しかし、ナナリーに銃口が向けられていることに気がついたルルーシュはその身をもってナナリーを護った。枢木の家に居た頃は幾度かあった暗殺未遂。それがついに現実のものとなってしまった。恐らく撃ったのは枢木の家に来た暗殺者たちの仲間だろう。ルルーシュとナナリーは七年間も彼らに追われ続けていたということになる。
「…………私、決めました。スザクさん、私とお兄さまをユフィ姉さまのところへ連れて行ってください」
「……でも……」
「連れて行きなさい、枢木スザク少佐」
ナナリーは、今、皇族としてスザクに命令を下した。それはつまりどういうことだか彼女は解っているのだろう。
「私はお兄さまをお母さまの元へ運びます。その手伝いをなさい」
――その責任があなたにはあるでしょう?
そう続けられ、スザクは頷いた。
「イエス、ユア・ハイネス」
* * *
ルルーシュの眠る柩を覗き込む。ミレイは生徒会の皆を帰し、車の用意をさせている。ナナリーはスザクの取次ぎでユーフェミアと電話で話をしていた。
今、ルルーシュとスザクは二人きりである。
「……ごめんね、ルルーシュ。僕が気が付かなかった所為で……」
ルルーシュはいつでもスザクのことを優先してくれていた。勿論最優先はナナリーだったが、それでもスザクはルルーシュの特別だったと思う。自惚れではない。――身体を重ねたことすらあるのだ。
誘ったのはルルーシュだった。ルルーシュへの想いを秘めていたスザクにとっては避けられない誘惑。ルルーシュも同じ気持ちだったということを知って嬉しかった。喜んで重ねた口づけは僅かに甘かった。
『……っ、好きだ』
長い間交わしていた口づけから解放すると、ルルーシュはうっとりと僅かに紫紺を覗かせてそう口にした。そんなことを告げられる日が来るなんて思ってもみなかったからスザクは愛おしい彼の躰をぎゅっと抱きしめた。
しかし、現在目の前に横たわる彼の体温はあの時とは異なり冷たいものへと変化していた。もう、あの熱が返って来ることなどない。
どうして。どうして自分はユフィを選んでしまったのだろう。どうしてルルーシュの手を離してしまった? そう、手放したのは彼ではない。自分の方なのだ。
「君と共に死ねたら良いのに……」
神根島に行ったあの日からスザクは死ねなくなった。これは罰なのだろうか。死のうとすると意識が飛んでその間の記憶が無くなるのだ。
それともこれは呪いか。
――これは願いだよ、スザク
何処からかルルーシュの声が聞こえた気がした。ハッと目を開けるとスザクは自らの頬が濡れていることに気がついた。
ルルーシュは生きることを望んでいた。スザクは死ぬことを。でも結果としてそれは互いに適えられることはなかった。
まるでこれが運命であるというように。
「ルルーシュ、愛してるよ、これからも永遠に」
スザクは柩の中の彼へそっと口付けを落とした。
スザクのことルルーシュは愛していましたが、他の人がそんなことを知るはず無いので誰もルルーシュの気持ちには気付いていないよ、という話。だからナナリーとかミレイはスザクに思わず辛く当たっているだけで、ルルーシュはスザクのことを恨んでいません。